調べてみた:「ヴァージニア州の最初の奴隷所有者は白人でなく黒人の地主」であったといえるのか?

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 とりあえず、練習で、以前に書いた記事

A wolf at the door (workingtitle) - 調べてみた:「ヴァージニア州の最初の奴隷所有者は白人でなく黒人の地主」であったといえるのか?

 を転載。

 

「もっと愚かなのは、「ヴァージニア州の最初の奴隷所有者は白人でなく黒人の地主なのである」(*イザヤ・ベンタザン『日本人とユダヤ人』四二頁)という文である。(中略)
 大まじめに訂正をするのも照れくさいほどであるが、事実はちょうどこの逆なのだ。一六一九年、バージニア植民地(まだベンダサン氏のいうように「州」ではなかった)にはじめて二十人の黒人奴隷がオランダ船で運ばれてきた、これぞアメリカ奴隷制の起源である。J.レスター『奴隷とは』(岩波新書)の、最初のたった二頁でも読んでいれば(あるいは同じ岩波新書の本田創造『アメリカ黒人の歴史』の二九頁以下「最初の黒人奴隷の所を読んでいれば)こういう真っ逆様のウソはつかないで済む。(後略)」

       浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』朝日文庫(1986)p.40

 このベンダサンの「ヴァージニア州の最初の奴隷所有者は白人でなく黒人の地主なのである」は、「当時南京には20万人しかいなかった」言説から脈々と続く、いわば<事実のかけつぎによるフィクション化>とでも呼ぶべき手法で、一見すると荒唐無稽なでまかせにしかみえないほどに思いもよらないところから共糸を引き抜いてきているために、言下に全否定すると、「情弱乙www」で勝利宣言されてしまう典型例のひとつだと思う。教養書(どころか大抵は専門書でも)で知るような<一般論>では特に言及されないような副次的だったり特殊例である情報を拾ってきて、「これに言及しないのは、不都合な真実だからだ」と勝ち誇るのである。

 さて、「最初の奴隷所有者は黒人」説自体は、ベンダサンがオリジナルなのかはわからないが、現在でもネットで散見されるデマでもある*1。ベンダサンよりは詳細に語られているケースを見ると、このデマは次のような構造になっているのがみえてくる。

  • 一般に、米国への黒人奴隷の<輸入>は1619年ヴァージニア植民地にオランダ船が<運んで>きた、20人のアフリカ黒人にはじまる、と説明される
  • しかし、初期の米国における<奴隷>は、黒人だけでなく、白人も含み、更に、この時代奴隷と呼ばれた人々の実態は<年季奉公人>であった。黒人も解放されれば土地を持つことができたのだ(ここに<慰安婦>強制否定論にも頻出する論理の萌芽がみられれるのは興味深い)。
  • では、黒人奴隷制度の法制化はいつからかというと、ヴァージニアにおいては1661年からである。
  • しかし、それ以前から法的に拘束された<終生>の<資産として扱われる>奴隷は存在した。それは年季奉公を終えた後土地所有者となった黒人、アンソニージョンソンが1654年に裁判に訴えたことによって下った判決によって生まれた一人の奴隷である。

 おそらくは、ベンダサンあるいは彼にこの嘘を吹き込んだものも、問われれば、このような説明を行ったのではないか。

 つまり、「あくまでこの意味においては、正しいのだ」と。

 アンソニー・ジョンソンの1654年のケースは'Casor suit'としてアンソニーの英文ウィキペディア記事にも確認できる*2。日本語の「アメリカ合衆国の奴隷制度の)歴史」のページ*3にも確認できる。だが、アンソニーを「ヴァージニア最初の黒人奴隷の主人」とする文脈ではない。米国の歴史における裁判判決による法的な<終身奴隷制度>のマイルストーンとされるのは、1640年のJohn Punch裁判である*4。アンソニーは米国において知られる、年季奉公を経て自由になった後に土地所有者となったはじめての黒人として、まず第一に記憶されているのだ。

 また、米国の歴史においても最初に奴隷制度が確立したのは1641年のマサチューセッツからだと語られる*5

 つまり、奴隷制度確立以前であれば、年季さえ明ければ黒人が自由に土地を取得していた、という風に一般化することもできなければ、奴隷制度が一般に確立する以前から、黒人農場主だけが特に奴隷を求めていた、ということもできない。

 だが、「最初の奴隷所有者は白人でなく黒人」デマを流すものは、明らかに「少なくとも初期は黒人は自由だったし、そもそも、自由な立場であれば黒人であっても奴隷を所有することを望んだのだ」と印象づけたがっている。

 結局は、このような言説に対しては、一見荒唐無稽なうわべだけではなく、その裏に隠された意図をも見抜かなければならない、ということがいえるのではないだろうか。

 まさに日高六郎いうところの「特殊によって一般を推定するエピソード主義」(浅見、前掲書p.4)であり、そのように特殊を一般であるかのように見せかけることを幾重にも積み重ねていくことで築き上げる虚構によって、ベンダサンも、また、現代のベンダサンたちも、<戦果>をあげてきたのである。

 

補足:この「ヴァージニア州の最初の奴隷所有者は白人でなく黒人の地主なのである」デマが持ち出される最大の目的は、<慰安婦>強制否定論にも見られる、「日本の<伝統>である年季奉公は奴隷とは異なる」ということを強調することだろう。つまり、かの勢力は<債務奴隷>という概念を否定したいのだ。

 「米国の歴史においても結局は債務奴隷の実態は年季奉公人だったではないか」という言い方で、<債務奴隷>の非道性を無効化しようとしているのだ。