fifteen-twelve④

毎日、戦争で、災害で、不慮の事故で、病気で、あるいは自ら、あるいは親の手によって、数しれぬいのちがうしなわれている。どこかの歌の歌詞のようだが、どれだけのいのちがうしなわれていようが、ひとは近しいものの死によってしか、それを実感できないにだという。では、どれほど近ければひとは死を身近に感じられるのだろう。

祖父母や親戚、僕に係るひとの多くが既に世を去った。でも僕がこれまでにほんとうに抑えきれず慟哭したのは、僕が拾ってきた猫が亡くなったとき、その一度だけに過ぎない。

近さとは何なのか。理解とは何なのか。

僕は今もそれがわからないままだ。

ひととひととは、言葉を持つ、交わす、抉り合う、それができるということ、になっている。でも、ほとんどの言葉は交わることなく、出会うことなく、届くことなく、ただ、空を切る。こんなことを話したかったのではなかった、こんなバカげた言葉で苦笑いを呼びたかったわけではなかった、と思いながら、焦れば焦るほどに、本当に話したかったこと、をますます見失うだけ。

風の中に編み込まれていく言葉を見つけるべきだ。

絡みにからんで、切り離してもバラバラに散る言葉たちではなく、風の中にたるむことなく、まっすぐに織り込まれていく言葉たちを、カタコトとリズムに乗って。

だから、僕の人生のシーンにおいて、重要な言葉の多くは、語られた言葉ではない、会話体にはなり得ないのだ。語られぬことをこそ、と書いたのは誰だったか。

僕は書く、それは、あなたにあの日語りかけたかったことば、語りたかったのに口にする前に見失ったことば、あなたの言葉と交差して、出会うべきだったことば、ーーーそうであってほしい。

僕はつながりを持ちたい。

結局のところ、それが言葉をなげかける、毛糸玉をうまく投げて届かせる、そしてーーー、それをあなたにまた投げ返してほしい。

それが、切望なのだ。

fifteen-twelve③

今朝、伯父が亡くなっていたことを知った。一年半以上前、胃ガンだったらしい。おそらく、なのだが、断片的な記憶と聞いた話を総合すると、伯母は義理の祖母のせいで僕の一族を嫌って遠ざけており、伯父が亡くなったことを弟の僕の父にも知らせていなかったらしい。父は、最近になって、小さなニュースの中で、伯父の死を知ったのだろう。父からそのニュースをプリントアウトした紙を渡されて、僕は伯父の死を知り、おそらく30年近くぶりに伯父の顔を見た。老いた伯父の顔は父にも、祖父にもあまり似ておらず、あんなに伯母が嫌い、最後には絶縁状態にあった祖母に一番似ているようだった。

祖父が亡くなったのは、僕が15歳になってすぐの冬で、その頃の僕は毎朝30分かけて2km離れた転校先の中学に通い、帰り道は急な坂の上にある住み慣れない部屋まで登って帰り、夜には近所の私塾まで自転車で通い、真っ暗な帰り道、古本屋や本屋に寄っては、こっそりと「18禁」の小説を買って帰る、そんな日々で、筏の浮かぶ運河のまちのころが急に遠く感じられるほど、別の人生を生きていて、小学の高学年になって以降あまり会った記憶もない祖父も、遠い人のように感じられるようになっていたので、亡くなったときも、なんだか祖父がつい先日まで生きていた実感が沸いて来なかった。引越してから僕はどういうわけか夏目漱石を読むようになっていて、祖父の死を夏目漱石の死と重ねようとしていたのを覚えている。伯父に会ったのも、おそらく祖父の葬式が最後で、葬式の後で祖父母の家の居間に集まった父たち三人兄弟が祖母に「〇〇(祖母の出生地)女に美人なしだ」などとからかっていたのを覚えている。酒が入ってしまいには父と伯父が取っ組み合いになり、叔父が止めに入っていた光景は、現実なのか、母に後から聞かされただけなのか。

父はその数年後、脳卒中で倒れた祖母を引き取ってボケが進んで老人ホームに預けるまでともに暮らし、離婚して荒れた生活を送っていた叔父もまた脳卒中で倒れた後も、東京から連れてきて老人ホームに入れて近くで面倒を見ていた。糖尿病が進んだ叔父は最後には片足を切断し、亡くなった。

そして、伯父もまた、安らかとはいえない形で世を去っていた。

あの晩居間にいた家族は、父を除いて皆、もうこの世にはいない。

僕が9歳のときの夏休み、ひとりで祖父母の家に夏休み中預けられたことがあった。僕と弟は、夏休みは母と一緒にその実家に行くことが多かったので、父の実家はあまり慣れておらず、話すこともなく暇で仕方なかった。普段漫画やゲームなど害悪、というタイプだった祖父がファミコンを買ってくれたが、古いシューティングゲームパックマンで、操作が苦手な僕には面白くなかったし、当時ドラクエⅢをやるのが夢だったのに、ゲームをできる時間が一日30分に制限されていては例え買ってもらえてもほとんど進めることができない…と不満を抱いただけだった(その時ドラクエを買ってもらえたのかどうか、記憶が曖昧だ)。祖父母の家の居間には沢山の本があって、昔の家庭で家を建てたら飾り代わりに買う全集の類ばかりだったようだが、現役当時教育委員会に務める公務員だったらしい祖父は僕がそれに興味を持って読んで勉強に目覚めることを期待していたようだ。その当時は本が好きだと思っていた僕も、児童書ばかり読んでいたのがいきなりスピノザアウグスティヌスといった名前を見ても開く気にもなれる筈がなく、漫画に飢えて、創価学会の勧誘員が置いていったらしいゆでたまごの描いた公明党PRの漫画と、トイレにおいてあった祖母が買ったらしいレディースの漫画雑誌ばかり読んでいた。あまり外に出ることも許されず、飛び石渡りのように居間のソファを飛び移って独り遊んでいた記憶がある。あのとき、祖父か祖母が飛び込んできて怒られたのか、それともそれを恐れながら遊んでいただけだったのかどうだったのか…。

後になって、養子だった祖父の生家の跡継ぎが絶えて、そこに養子に入れるために祖父母が引き取る話があって、その夏休みに僕を呼んだのだと母に打ち明けられて、母の反対で話は流れたらしいが、買い与えられたファミコンは、祖父なりの懐柔策だったのかと思い当たった。

祖母の金遣いが荒く、父たち兄弟は「食うや食わず」で育ったらしいが、長兄である伯父は東京の技術系の大学に進み、父にとって自慢だったのが、東京に会いに行ったら学生運動まっさかりの時期で勉強もせず寮で漫画を読んでいたから軽蔑した、という話を聞かされていたが、父の根性論に辟易していた僕は、むしろ学生運動をしていた伯父にちょっとした憧れを感じたのを覚えている。戦後間もなく生まれの年代の典型的な人生か、田舎で貧しく育っても学歴にこだわり、伯父は東京の大学を出て技術者、叔父は東京の大学を出て公務員。父だけが大阪の大学を出て生命保険会社の営業になったが、東京を嫌い、転勤も東京は断り続けていたのには、伯父への反発があったようだ。

今朝、そんな父が、伯父の死を扱う記事の写しを笑って僕に渡した心中はどんなものだったのか。ほとんど今ここに書いたことくらいしか父の家族の物語を知らない僕が、想像することすら冒涜ではないかと思えるほどに、彼らは遠い存在だったし、今や永久にその距離は固定されたようにも思える。

fifteen-twelve②

筏のまちの時分、中学生に上がったばかりの頃だったか、国語の時間に好きな作家を発表させられて「ガンダム富野由悠季」と答えた僕に、国語教師が「そんなこと云って、後悔しない?」とちょっと怒ったような口調になったのを覚えている。僕の子ども部屋の本棚にはにはルイスやリンドグレン、コロボックルのものがたり、コンティキ号の冒険記などがびっしりと並んでいて、小学四年生くらいまでにはそれらをあらかたは読みあさっていた、国語教師好みのエピソードだってあったのだから、きっとかの女を満足させるような回答もできたのだろうけれど、転勤族の家庭で、更には何かと気の利かなかったり、乗り遅れるタイプで遊びの輪に入りきれない子どもだった僕は、本の中でしか子どもの世界を知らない飢餓感、涸(かわ)き、を抱えていたから、その時期むしろ、ナルニアやピッピ、わんぱく天国の世界に何か恨めしさ、憎々しさ、そして後ろめたさのようなものを覚えていたように思う。

今思うと、富野由悠季の小説にはその不全感に通じ合うものがあったのかも知れない。

14歳で引っ越すまでのあいだ、僕は筏のまちの商店街にあった駄菓子屋で、当時のSDガンダムカードダスを「大人買い」しては、たまに同級生に目撃されて笑われたりしていた。小六のときにまったく勉強せず授業中に漫画ばかり描いていて、中学に上がる頃には割り算も忘れているくらいになっていた僕は、わかりやすく勉強に遅れはじめ、小学から持ち上がりでいじめの標的にもなっていた。その頃僕は「レール」というものから外れつつあることをぼんやりと感じながら、奪われた子ども時代への執着にも曳かれ、共に遠ざかりゆく過去と未来の股裂き状態にあり、転落も間近のようだった。

fifteen-twelve①

涸(かわ)きがあった。

その時僕は15歳ーーー、何かを書き出すときに、例えば印象的な科白から書き出すやり方は、現在では当たり前だが、これは一体いつ頃から定着したものだろう?

文字でありながら、映像を彷彿させる印象的なこの表現。僕もできればそんなふうに書き出したいものだが、残念ながら、僕の15歳の物語にはそんな印象的な科白は登場しない。もちろん、あの体育館で健康診断かなにかで並んでいるときに、Aにはじめて声をかけられて交わした会話、それは別の物語であればじゅうぶんに印象的なものかもしれないが、この物語のなかでは、印象的な科白どころか、会話すらほぼ皆無だ。そして、それが僕の涸きの理由のひとつにもなっていた。

多分。

14歳までの約三年半を、僕は運河に材木の筏が浮かぶ下町で暮らした。今となっては、大きなスタジアムができて、その頃の面影はほとんどすっかり、消えてしまったようだ。先日ひさしぶりにその近くまで旅行に行ったとき、僕は懐かしさにかられてその地域をネットのマップ上で歩いてみたのだけれど、僕の子どものころに知っていた店は見つけられなかったし、子どもの僕の歩きまわっていた範囲ですら記憶はあやふやで、子どもの頃の世界の余りもの狭さと、それがあまりにも容易にきれいさっぱり消え去ってしまえることにうちのめされて、結局僕はその街に立ち寄ることはなかった。

14歳。

14歳の誕生日を迎えて年が明けたとき、僕は材木の筏が浮かぶ小さな運河のまちから、海も川も見えない街に引っ越した。

校則で坊主頭、卒業生の七割から八割は普通科に進学しないという中学から、できたばかりの三年めの文教区の中学に移ったのは、わかりやすく、カルチャーショックだった。

甲斐よしひろ FLASH BACKツアー 曲目予想

Twitterで一回書いたけど、まとめ+αで。

 

①まあ、やるだろう 12曲
電光石火BABY
レイン
ハートをROCK

ブルー・シティ(ビルボード被り) 

THANK YOU
今宵の月のように
渇いた街
ロックンロールメドレー
ダイナマイトが150屯
風の中の火のように(ビルボード被り)

絶対・愛

GUTS
②やりそう 3曲
ラブジャック
幻惑されて
「祭りばやしが聞こえる」のテーマ
③なんかやりそう 3曲
無法者の愛

霧雨の舗道

立川ドライブ

ビルボードライブと被るけどいつもの感じならやりそう 7曲
嵐の明日
ブルー・シティ
イエロー・キャブ
カオス
レッド・スター
暁の終列車
スウィートスムースステイトメン
⑤やるなよと思ってもやるかも 3曲
浮気なスー
マドモアゼル・ブルース
破れたハートを売り物に

きんぽうげ

⑥サプライズ枠 現実的 10曲
光あるうちに行け
i.l.y.v.m
ミッドナイト・プラス・ワン

word
エキセントリック・アベニュー
かえがえのないもの(ビルボード被り)
目線を上げて(ビルボード被り)
ノーヴェンバーレイン(ビルボード被り)

ラン・フリー

仮面 ※なんとなーく、今回のスペシャル、ってことで選びそう

⑦サプライズ枠 願望 12曲


四月の雪
君のいないこの街はまるで名も知らぬ街を歩くようだ
落下する月
都会のつらら
湖畔
火傷
パートナー
CRY

HEY! MONOCHROME CITY
against the wind

個人的にはラヴァー・ホリックとか恋愛平行線とかブラックサンドビーチとかも聴きたいけど、フルバンドのライヴ向きかというと…な感じなので。嘘なんかも、最近やったし在るかなあと思ったけど、フルバンドのツアーでやるか?聴きたいか?というと、まあいきなり弾き語りでやってくれたら嬉しいけど違和感はありそうなので迷ったけど外しました。

さすがというべきか、順当な選曲(驚きのない選曲)だけでもセットリスト埋まっちゃう感じだけど、願望サプライズ枠が一曲でも入ればいいなあと(ホントは三曲はほしいけど)。

やっぱりCRYか炎が一番お客さんに響くサプライズだと思うんですけどね。

まあでも、サプライズは無法者の愛です!とかでも全然いいですね。エゴイストヴァージョンでやってくれないかなーとか。仮面だったら個人的にはちんぴらと同じくらいん〜ですけど。

 

カラスの媚態

カラスは頭のいい動物なのだという。

ある時、男は川の葦原への階段を駆け降りていく仔猫のきょうだいを見かけた。彼がそれを追って階段を降りかけると、一匹は踵を返して川べりの小高い丘の上に逃げて行き、こちらを窺っている。もう一匹は気づかぬ様子で葦原をあちこち探って周っている。

彼はもうニ、三段階段を降りると、ポケットにあった包を出して、そこに置いた。葦原にいた一匹も、その時彼に気づいてぱっと駆け上がっていった。彼は後ろを振り返りながら去っていった。猫はすぐには戻ってこなかったが、きっと丘の上から窺っているだろうと思った。丘の高い木の上からカラスがすべてを見ていたことには気づかないままだった。

翌日、男はまたその場所に戻ってみた。残した包みが気になっていた。葦原へと階段を降りていくと、カラスが背後の欄干にとまってカァッカァッと、鋭く短く、続けて鳴き続けた。包みはあとかたもなくなくなっていた。仔猫たちの姿は見えなかった。

彼は期待外れに淋しさを覚えながら戻りかけた。さっきのカラスがあの高い木の枝に飛んでいって、カァッカァッっと鋭く二回鳴いて、ぽとりと何かを男の足元に落とした。あの包みだった。中身はきれいになくなっていた。カラスは男が包みを見たのを確かめると、また鋭く鳴いた。お前のポケットに同じ包みがまだ入っているのを知っているぞ、というように。

男は激しい厭悪が沸き上がるのを抑えかねながら、カラスに背を向けて足早に歩き始めた。あの丘の向こう側の斜面にあの仔猫たちの死体が転がっていてもおかしくないぞ。男はそんな想像をする自らに戦慄した。

あれはカラスにとっては、思い掛けないお土産をくれた人間に見せる媚態ではないか。姿かたちは違えど、猫たちの人への懐きようと変わるところはないのではないか?それを厭らしいものと感じる己(おれ)は何だ。

しかし、わざわざ包みを落として男に思い出させようとしてみせるカラスの行動には、その端々にどうしても小ずるさを感じとらざるを得なかった。猫もお気に入りのおもちゃをわざと家人の目の前まで咥えて来て落として見せて、遊んでくれと促すことがある。カラスの行動はその甘えように似ていたが、カラスの甘えには一端それを許せば、すぐにエスカレートして、平気で「己(おれ)の要求に応えないのならお前の愛するものがこんな目に遭うことも覚悟するがいい」と、つつき殺した仔猫の頭をぽとりと男の前に落として見せ兼ねないような、酷薄さ、サイコじみた利己性が感じられるのだ。

詰りそれは、ヒトがヒトに覚える不気味さ、厭らしさに限りなく近い。

それは、偏見の正当化だろうか?男にはそれを言い切る勇気はなかったが、カラスの丸い額、親しげな目つきを忘れることは出来なかった。

金環日食

じ風景、しかし、君の属していない風景。君が一度は属していたが属するのをやめた、或いは放逐された…いや、わたしが一度でもその一部だったことがあるのだろうか?君は自問する。---いつでも自問自答ばかり。

幸福な君の曳光をそこに見出したとき既に君はそこに属するのをやめている。だれかがいっていた…然り、君に属していると感じていて、君とのつながりが幸福の糸口だと目が語っているような幾人かを目前の風景のなかに見出した時、きみは既にその一部なのだ、と。

だが、 君はそれを想像する事に気詰りを覚える。だからといって君は他の無数の何ものかである事を選びもしなかった。他の無数の何ものかであろうとせず、まして何ものでもない何かだとも感じなかった。ただ、君は君でしかないという実感…確信だろうか、いやあきらめ…。もうすぐ夜が明けるが、陽はもう一度昏くなる。今朝は虫たちがもぞもぞと起き出すのを躊躇する間にも早くもひるは暮れまた明けるのだ。

朝そして人生のはじめに、気まぐれのように変拍子で挿入される誰ぞ彼どきに、ようやく君は尋ねるべきを尋ね当てる。「僕が僕である事をやめられる狭間は何処?とわなるひると永遠の夜を区切る色あいは」。きっと天体ショーをより近くで撮影しようと試みる飛行機雲であけぼのの射光は偏向する。

或いは穏やかな懐炉のぬくもりに見える太陽に近づき過ぎて、詮索好きのイカロスたちの翼はパッと火花に変わり一粒の炭になって空の色彩を変えるかも知れない、そうと念じなければわからない程度に。ああ、明けに燃え尽きるものたちのいのちで、空は刻一刻と色あいを変える。

冥界の闇もまた、あお、ときにはシラカバ色に色相を成す。蛇の瞳孔をした狼に少しずつひるが呑まれ、冥府へのなだらかな坂道が狭間に見出される。徐々に急斜面になっていく坂道を下って、私は冥王に尋ねにいく。

「私のあの仔はもうそこに到着しましたか。
あの仔はそこでよい滞在をしているのでしょうか」
 あの仔はまだここにはおらぬ。地上のどこにも、冥府のどこにも、冥府のどの川にも川辺にもおらぬ」。 
あの仔は今ごろどこを彷徨っているのか。
     どこの水に                       浮かんでいるのか。   
                     どの岸辺に            流れ着くのか。
冥府の番犬の頭のうちひとつは、あの大蛇の目に似ていた―――
                           いつかどこかの岸辺に到達できるのか。
せめて色たちそれぞれ皆に
かれらがひると夜奈辺に属するのか
いずれに腰を下ろす事が許されているのかを教えてやれれば、
この指の間をさらさらとこぼれ落として、
見うしなってしまったあの仔の居場所もわかろうに。

 

やがてこの不意の夜も明けてしまう。

大地の蛇たる狼はやぶれ去り、くろぐろとした胴体を地の果てに沈めていく。

沈んでいくくろい山脈。私の頬を睫毛の零す露が伝う。朝のいちばんはじめの滴が。

やがてその流れの無数の筋が合流し、静かなナイルの流れとなってなみだの海に注ぎ込む。

定かでないひかりが、轟々と流れる奔流となり、かすかな襞が眼球の皮膚を削ぎ取っていくような暴力的な目くらましの光に、まるで全体でひとつであるかのような偏在に…私は涸れ果てる

 

                             2012年5月12日 初稿