同じ日のことを

 また、8月6日がやって来ました。

 蝉の声、雲もまばらな真っ青な空。電車の中で、朝食の最中に、校庭で、何度も何度も、永遠に、この夏を迎える度に、塵も残さず焼き尽くされ、皮膚を黒炭のように焼かれ、肉を吹き飛ばされ、細胞を破壊され、影だけを残し、魂さえも蒸発する。この朝を迎える度に、その瞬間は訪れ、その後に重なった60年を砂上の幻とします。そのゼロ・ポイントのみが真実で、その後の日々も前の歴史もすべてはその一瞬に生じた夢に過ぎないのではないかと。時間の消失点。

 精神には時間は関係なく、穿たれた亀裂は消えることはありません。南京の冬が、真珠湾の冬が、ペストの夏が、モンゴル人の夏が、ディン人の夏が、断頭台の夏が、ホロコーストの夏が、焼夷弾枯葉剤の夏が、エルサレムにはためくユダヤの星が、重力の底となって幾度も引き戻す、海の底で眠る深海魚の泡のようなかりそめの日常。

 わたしたちの魂は今まさに地獄の焔で焼かれようとしているのか、それともこれもいつかは覚める深い眠りに過ぎないのでしょうか。