fifteen-twelve①

涸(かわ)きがあった。

その時僕は15歳ーーー、何かを書き出すときに、例えば印象的な科白から書き出すやり方は、現在では当たり前だが、これは一体いつ頃から定着したものだろう?

文字でありながら、映像を彷彿させる印象的なこの表現。僕もできればそんなふうに書き出したいものだが、残念ながら、僕の15歳の物語にはそんな印象的な科白は登場しない。もちろん、あの体育館で健康診断かなにかで並んでいるときに、Aにはじめて声をかけられて交わした会話、それは別の物語であればじゅうぶんに印象的なものかもしれないが、この物語のなかでは、印象的な科白どころか、会話すらほぼ皆無だ。そして、それが僕の涸きの理由のひとつにもなっていた。

多分。

14歳までの約三年半を、僕は運河に材木の筏が浮かぶ下町で暮らした。今となっては、大きなスタジアムができて、その頃の面影はほとんどすっかり、消えてしまったようだ。先日ひさしぶりにその近くまで旅行に行ったとき、僕は懐かしさにかられてその地域をネットのマップ上で歩いてみたのだけれど、僕の子どものころに知っていた店は見つけられなかったし、子どもの僕の歩きまわっていた範囲ですら記憶はあやふやで、子どもの頃の世界の余りもの狭さと、それがあまりにも容易にきれいさっぱり消え去ってしまえることにうちのめされて、結局僕はその街に立ち寄ることはなかった。

14歳。

14歳の誕生日を迎えて年が明けたとき、僕は材木の筏が浮かぶ小さな運河のまちから、海も川も見えない街に引っ越した。

校則で坊主頭、卒業生の七割から八割は普通科に進学しないという中学から、できたばかりの三年めの文教区の中学に移ったのは、わかりやすく、カルチャーショックだった。