fifteen-twelve③

今朝、伯父が亡くなっていたことを知った。一年半以上前、胃ガンだったらしい。おそらく、なのだが、断片的な記憶と聞いた話を総合すると、伯母は義理の祖母のせいで僕の一族を嫌って遠ざけており、伯父が亡くなったことを弟の僕の父にも知らせていなかったらしい。父は、最近になって、小さなニュースの中で、伯父の死を知ったのだろう。父からそのニュースをプリントアウトした紙を渡されて、僕は伯父の死を知り、おそらく30年近くぶりに伯父の顔を見た。老いた伯父の顔は父にも、祖父にもあまり似ておらず、あんなに伯母が嫌い、最後には絶縁状態にあった祖母に一番似ているようだった。

祖父が亡くなったのは、僕が15歳になってすぐの冬で、その頃の僕は毎朝30分かけて2km離れた転校先の中学に通い、帰り道は急な坂の上にある住み慣れない部屋まで登って帰り、夜には近所の私塾まで自転車で通い、真っ暗な帰り道、古本屋や本屋に寄っては、こっそりと「18禁」の小説を買って帰る、そんな日々で、筏の浮かぶ運河のまちのころが急に遠く感じられるほど、別の人生を生きていて、小学の高学年になって以降あまり会った記憶もない祖父も、遠い人のように感じられるようになっていたので、亡くなったときも、なんだか祖父がつい先日まで生きていた実感が沸いて来なかった。引越してから僕はどういうわけか夏目漱石を読むようになっていて、祖父の死を夏目漱石の死と重ねようとしていたのを覚えている。伯父に会ったのも、おそらく祖父の葬式が最後で、葬式の後で祖父母の家の居間に集まった父たち三人兄弟が祖母に「〇〇(祖母の出生地)女に美人なしだ」などとからかっていたのを覚えている。酒が入ってしまいには父と伯父が取っ組み合いになり、叔父が止めに入っていた光景は、現実なのか、母に後から聞かされただけなのか。

父はその数年後、脳卒中で倒れた祖母を引き取ってボケが進んで老人ホームに預けるまでともに暮らし、離婚して荒れた生活を送っていた叔父もまた脳卒中で倒れた後も、東京から連れてきて老人ホームに入れて近くで面倒を見ていた。糖尿病が進んだ叔父は最後には片足を切断し、亡くなった。

そして、伯父もまた、安らかとはいえない形で世を去っていた。

あの晩居間にいた家族は、父を除いて皆、もうこの世にはいない。

僕が9歳のときの夏休み、ひとりで祖父母の家に夏休み中預けられたことがあった。僕と弟は、夏休みは母と一緒にその実家に行くことが多かったので、父の実家はあまり慣れておらず、話すこともなく暇で仕方なかった。普段漫画やゲームなど害悪、というタイプだった祖父がファミコンを買ってくれたが、古いシューティングゲームパックマンで、操作が苦手な僕には面白くなかったし、当時ドラクエⅢをやるのが夢だったのに、ゲームをできる時間が一日30分に制限されていては例え買ってもらえてもほとんど進めることができない…と不満を抱いただけだった(その時ドラクエを買ってもらえたのかどうか、記憶が曖昧だ)。祖父母の家の居間には沢山の本があって、昔の家庭で家を建てたら飾り代わりに買う全集の類ばかりだったようだが、現役当時教育委員会に務める公務員だったらしい祖父は僕がそれに興味を持って読んで勉強に目覚めることを期待していたようだ。その当時は本が好きだと思っていた僕も、児童書ばかり読んでいたのがいきなりスピノザアウグスティヌスといった名前を見ても開く気にもなれる筈がなく、漫画に飢えて、創価学会の勧誘員が置いていったらしいゆでたまごの描いた公明党PRの漫画と、トイレにおいてあった祖母が買ったらしいレディースの漫画雑誌ばかり読んでいた。あまり外に出ることも許されず、飛び石渡りのように居間のソファを飛び移って独り遊んでいた記憶がある。あのとき、祖父か祖母が飛び込んできて怒られたのか、それともそれを恐れながら遊んでいただけだったのかどうだったのか…。

後になって、養子だった祖父の生家の跡継ぎが絶えて、そこに養子に入れるために祖父母が引き取る話があって、その夏休みに僕を呼んだのだと母に打ち明けられて、母の反対で話は流れたらしいが、買い与えられたファミコンは、祖父なりの懐柔策だったのかと思い当たった。

祖母の金遣いが荒く、父たち兄弟は「食うや食わず」で育ったらしいが、長兄である伯父は東京の技術系の大学に進み、父にとって自慢だったのが、東京に会いに行ったら学生運動まっさかりの時期で勉強もせず寮で漫画を読んでいたから軽蔑した、という話を聞かされていたが、父の根性論に辟易していた僕は、むしろ学生運動をしていた伯父にちょっとした憧れを感じたのを覚えている。戦後間もなく生まれの年代の典型的な人生か、田舎で貧しく育っても学歴にこだわり、伯父は東京の大学を出て技術者、叔父は東京の大学を出て公務員。父だけが大阪の大学を出て生命保険会社の営業になったが、東京を嫌い、転勤も東京は断り続けていたのには、伯父への反発があったようだ。

今朝、そんな父が、伯父の死を扱う記事の写しを笑って僕に渡した心中はどんなものだったのか。ほとんど今ここに書いたことくらいしか父の家族の物語を知らない僕が、想像することすら冒涜ではないかと思えるほどに、彼らは遠い存在だったし、今や永久にその距離は固定されたようにも思える。