漂泊者(漂白に非ず)

 誰か俺に 愛をくれよ 
 誰か俺に 愛をくれ

 ひとりぼっちじゃ ひとりぼっちじゃ
 やりきれないさ
   「漂泊者(アウトロー)」『地下室のメロディー甲斐バンド(1980)

 高校時代、甲斐よしひろのライヴヴィデオを居間で観ていて、「誰か俺に」(甲斐)、「愛をくれ~」(観客)というコール&レスポンスが流れた際に、通りかかった母が、

新興宗教みたいで気持ち悪い」

と一言嫌味をいった。

 皆さんは「甲斐を居間で観ることが間違っている、ハードな孤独の中で向かい合うべきものだ」とお叱りになるかも知れない。俺もそう思う。だが、当時ヴィデオデッキはそこにしかなく、学生の僕には日曜の昼間しか時間がなかった。このちっぽけな少年に他にどうできよう?(By ローリングストーンズ)

 俺は非常に傷ついた。甲斐を宗教のようにいわれたこともそうだが(確かにファンは信者と呼ばれたりもしたが)、その後「漂泊者」の「誰か俺に愛をくれ」という下りを聴くたびに母の声が蘇り、自分は甲斐の音楽の価値を確信していてもどうしても心をかき乱されることになったのが腹立たしかった・・・・。

 甲斐よしひろの音楽を聴くファンと、甲斐よしひろが、ただ愛を得られない社会的脱落者で、その空しさを舐めあっている関係だという見方は明らかに表層的な見方である。だが、一歩間違えばお互いに寄りかかるジャパニーズフォーク、ニューミュージック(懐かしすぎる)的関係に堕しかねないというのも確かだ。

 ロックとは常にそのような危うい境界に存在する魔物で、そのスリリングさを保ち続けることが一触即発の恋愛に似た刺激を生み出すのだ。「永遠に若く(フォーエヴァー・ヤング)」とディランは唄うが、ロックとロックに呪縛されたものは老いることを許されない。それはあたかも港を見つけられない舟のように。

 長く 熱い 夜の海を
 愛しい ものの 名を呼んで
 みんな彷徨い 流れてる
 俺は アウトロー お前が
 火を点けたら 爆発 しそう

*今回は敢えて(笑)とか(汗)とか(涙)を省いたエコ使用です。皆様適当に頭の中で補ってお読みください。