変わりゆくことが 望みです (Kさん 21歳 語る)

 甲斐よしひろというコンポーサーは、非常に日本語の歌詞の選び方が上手いひとではないかと僕は思います。

 優れた作詞家は大勢いますが、日本のポップス、ロックの作詞家のほとんどが心情描写を得意としているように思えます。例えば今冬大ヒットしたレミオロメンの「粉雪」という曲の歌詞の一部を引用すると、

「僕は君の心に耳を押し当てて その声のする方へ すっと深くまで 降りてゆきたい そこでも一度逢おう

 分かり合いたいなんて 上辺を撫でていたのは僕の方 君のかじかんだ手も 握り締めることだけで 繋がってたのに

粉雪 ねえ 永遠を前に 余りに脆く ざらつくアスファルトの上 染みになって行くよ」

 この歌詞の言わんとするところは、直感的にはわかるような気がしますが、はっきりと筋道を立てて理解しようとすればするほど辻褄が合わなくなります。そして、この歌詞には実際に誰が、いつ、何処で、何をした、という具体的な描写が一切なく、更に歌詞の主体がそのような思いを抱えてこれからどうしたいのか、どこに進んで行きたいのか(かの女と別れようとしているのか、結婚しようとしているのか)を読み取る決定的な要素はありません。

 つまり、歌詞の中の主体が、どんな人間で、どのような状況でこのような心境に至ったのか明示する要素が殆どないのです。このように語り手の強い個性、つまり国籍、職業、年齢、性別といった属性をあえて曖昧にすることで、より多くのひとが自分自身になぞらえることがしやすい仕掛けになっているといえるでしょう。これは日本の近年のヒット曲の多くに見られる傾向だと思われます。

 甲斐よしひろの曲の歌詞の多くはむしろ非常にアクが強いものです。「冷たい愛情ージェラシー」という曲の歌詞を引いてみましょう。

「ある晩 お袋が 俺に いった お前が 生まれた時は 空は満点の星
そして 今夜俺が この地上に生を 受けた 時のような 空は満点の星」

「ふたりは 爆音轟かせ あの夏の日を突き行く
怖れも 知らぬ 怒れる 雄牛のようだった」

 ヴァース部分は3番のものですが、コーラス部分は敢えて1番のを利用しています。

 この歌詞では直接的に、自分はこう思う、こうしたい、という風には描かれず、ハードボイルド小説的な、自らを客観化しようとする文体で描かれているのと同時に、主体が自分の人生を語っています。つまり、聴き手はこの曲の主体に簡単に同一化することが許されず、個と個として向き合うことを余儀なくされます。

 甲斐よしひろの歌詞は具体的なイメージに満ちています。例えば、「四月の雪」という少し「粉雪」と風景イメージが重なった曲であっても、

「雨がいつしか 霙に 変わって行く 遅い四月の 雪に変わる」

と、絵はずっと具体的です。

 更に、そこに登場する個は、何かを決意し、向かって行こうとする意思を明確に示しています。「翼あるもの」という曲ではこのように歌われます。

「俺の海に 翼広げ 俺は 滑り出す お前という 暖かな港に辿り着くまで

俺の 声が 聴こえるかい お前に呼びかける 堪えきれず 傍に居たいと 叫び続ける」

 これも「粉雪」の歌詞と似通った部分がありますが、より具体的に「俺」にとって「お前」が必要だと吐露しています。

 甲斐よしひろの歌詞はよく映画的であるといわれますが、確かに、そのイメージは映像的であり、明確な物語を持ちます。余りにもイメージが具体的でために実際の映画には逆に使いにくいというのも頷けます。

 最近の曲との比較だけではなく、甲斐よしひろが登場した前後の曲との比較ではどうでしょう。かぐや姫の「神田川」の歌詞を引用して見ましょう。

「貴方は もう忘れたかしら 赤い手拭い マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋 「一緒に出ようね」って 言ったのに
いつも私が 待たされた 洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った 貴方は 私の身体を抱いて 「冷たいね」って 言ったのよ

 若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった」

 ここでの絵は甲斐よしひろの歌詞のものよりむしろずっと固定的ですが、逆に主体の心境には聴き手の思い入れが入る余地がレミオロメンのものよりもずっと広々と用意されています。

 ここでの主体の女性(別に男性ととってもいいでしょうかw)は、過去にこのようなことがあった、ということを感傷的に語っているだけで、その後二人の人生がどうなったのか、これからどうして行こうとしているのか、ということは一切示されていません。(おそらくその当時としては)どこにでもある若い男女の一場面を切り取った風景画かCMのようなもので、そこには前後の脈絡、つまり主体の人生は実は全く関係していないのです。

 全体として日本のヒット曲の傾向は、歌詞の主体が非常に受身で、「あなたがもし~なら」、「君も~なら」という自分自身はこれからどこにでも向かえるという一歩下がった場所に置かれているものが非常に多いように思えます。甲斐よしひろの歌詞の主体は、既に一歩踏み出した立場から歌われるという点で、非常に独特です。

 僕は、何だか良くわからない雰囲気に乗せられて泣かされるようなことが非常に嫌な性質なので、甲斐よしひろの一見ここまで断定的でいいのか?と思わせるような歌詞が凄く好きです。最近の書き手では、浜崎あゆみなども時々非常にアクの強い意思表示のある歌詞を書いていますが、甲斐よしひろのように高度なところで、物語性やレトリックを兼ね備えた表現として結実させることができているのは調子のいいときの椎名林檎ぐらいだと思います。

 最後に僕が高校時代一番好きだった「エゴイスト」という曲の歌詞を引いてみます。僕はこれ、非常に格好いいと思うのですが、どうでしょうか?

「星のない 闇夜 陽の昇らぬ 昼間
空が落ちてきそう 地面にしばられ
俺はうちのめされ 悲鳴をあげる
ねじ曲がった祈り 恋の火に焼かれ
愛に救われたくて かなわず
泳ごうとしてなお 溺れてる
よじれた 運命 世界は 今

征服したい 征服したい すべてを」

 いやーこんなこと唄われたら僕の中では抱かれたい男ナンバーワンですね(おいおい)w。