アタタカイ・ハート

 俺は基本的に、その言葉が後で自分に返ってきてしまうことは予想がつくので、好きな人やものの悪口をいってしまうのが嫌なのですが(その割にはかなり口が悪いのですが(^ー^;)、同じ人のものでも、、その人のある作品を持ち上げようとするとどうしても他の作品を結果的に貶す言い方、書き方になってしまうことは多いです。言葉は難しい・・・。

 と、いうわけで、このアルバム、甲斐よしひろ『アタタカイ・ハート』(2004)も、過去の記事の中で貶し気味に書いてしまったこともあるかも知れません(^ー^;。

 俺は音楽を聴くとき、歌詞や曲の良さだけではイイ、とは思えません。偉そうですが、全体のサウンドプロダクションまで気になってしまう訳です。特に甲斐さんの場合、過去の作品がかれの音楽へのこだわり、というか情熱に溢れたものばかりであるだけに、そこらのアーティストに対するよりも一層それを期待してしまいます。

 ですが、初めこのアルバムを聴いたときは残念ながらそれが感じられませんでした。かなりの曲でコンピュータプログラミングをベースにしたトラックが採用されていますが、有態にいってしまえばそれがすごくチープに聴こえたわけです。宅録のデモトラックみたいに。

 俺は今の普通の人から見たらおそらく変に思えるほどオーディオ機器に凝っていますが(まあマニアのひとから見ればただの遊びでしょうがw)、そこまでする動機のひとつが、実はこのアルバムをきちんと聴きたい、ということだったりします。

 俺は信者と呼ばれても構わないほど甲斐さんの作品にひとつとして駄作と極めつけられるものはないと信じてもいますのでw、駄目に聴こえるのは俺が甲斐さんの意図をきちんと理解できていないからだ、と考えるわけですwww。この作品も、鈍感な俺には普通のラジカセで聴いても良さがわからないが、きちんと再生できる機器で聴けばきっとわかるに違いないと信じていたわけであります。

 アホですねw。

 まあ、このアルバムのためだけに、というのはいいすぎですが、上記のような目的があったために、オーディオショップの試聴にもこれを持参していって周囲の目も気にせずに「愛のもえさし」をかけたりもしましたw。しかし、俺がこう聴こえるべきだ!と思うような鳴り方では鳴ってくれませんでした。甲斐さんと松藤さんへの信頼も揺らぎかけました(大袈裟w)。

 しかしご安心ください、わが友人の皆様、ついに俺にも『アタタカイ・ハート』に包み込まれる日はきました(誰も期待してないって)!どうしても好きになれずいつも飛ばして聴きたいとまで思っていた「FIGHT THE FUTURE」が俺にロックンロールを語りかけてきます!甲斐さんの声が俺に届いてきます。

 つーかマジいいですねこのアルバム。隙間を活かしたアレンジという甲斐さんが追求してきた要素がここにも活きています。最小限の音の配置が奥行きのある空間に甲斐さんの声を浮かび上がらせ、歌詞が心に染み入ります。

 そこにあるのは何かを得れば必ず何かを喪う、という哀しみと幸せ、大事なひとびとへの愛を伝える手紙。甲斐さんにとってそれがこのアルバムなのではないでしょうか。

 大事な愛を喪っても、世界に掬うべき愛がある限り、甲斐よしひろは歌い続けるのでしょう。