かさぶた

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ドラマが嫌いだ

 正確にいえば、ドラマという名の予定調和、お約束が嫌いなのだ。

 ひとつの映画、音楽、物語を読み終わった時、なんともいえない後味の悪さ、割切れなさ、不穏さにざわめく心に擦り傷が残る。

 それがかさぶたとなって残り、あるときなにかのきっかけではがれて血が噴出し、痛みとともに理解に到達するかもしれない。少なくとも、目が開けたという錯覚は得られるかも知れない。

 心のかさぶた、という表現は甲斐よしひろは用いていたものだ。傷つくということの意味を知っている者のみが使うことができる表現。

 破れたハートを 売り物にして
 愛に飢えながら 今夜さまよってる

 (・・・・)

 尽きるまで 泣いたら涙 拭きな
 お前といきたい ひとりぼっちは 嫌だ

       「破れたハートを売り物に」『破れたハートを売り物に』(1981)
 
 この当時甲斐よしひろの胸に空いていた心の風穴は、かれの非常に個人的なものだったはずだ。だが、ファンは、かれの唄を、自分たちの心の隙間を埋めてくれる力を持つものだと理解していた。それは誤解であり、間違いですらあったかも知れない。なぜなら甲斐よしひろはかれ自身が生き延びることに必死に立ち向かわなければらず、差し伸べる手など持っていなかっただろうから。甲斐バンドの音楽は心のバンドエイドにはなりえなかった。

 だが、確実に甲斐よしひろの歌声は多くの聴き手の心に傷を残し、やがてその者が生き延びらえるかどうかという岐路に立ったときに初めて、個と個として心の痛みを共感させるのではないか。

 コキュートスの淵にしがみつき、刃の上を歩きながら、ひとりぼっちでないことでひとはなんとかやっていける。

 傷を怖れることはない。