俺は誰のものでもない

 最近、自分のブログでは暗い感じの文章ばっか書いてるのですが、いつも寄らせていただいてるいくつかのブログが面白い。中のひとつを書かれている方に新しく甲斐さんを知ったという人がいて、その感じ方が凄く新鮮で、ふん、ど~せ甲斐さんの良さは今の若いもんにはわからんさ、と、やさぐれていた心が洗われるようw。迷惑顧みず常駐状態になってしまっています(^^;。

 そんな中で、気に入った曲としてあげられていたのが、『パートナー』の中の一曲、「CRY」。

 出そうと思っていた
 手紙はその辺りに
 抛り出してある あの時のまま

 この曲は『破れたハートを売り物に』に収録されている「冷たい愛情(ジェラシー)」と印象が似ているような気がする。『パートナー』というコンセプトのアルバムなのに、ひどく個人的で他者との最終的な結合の可能性を否定するような詞(ことば)の吐露。

 CRY 逃げられない君の記憶
 悲しいと思わないか
 唄いかける君への歌もなく
 俺は誰のものでもない

 CRY

 無くすことのできない傷痕

 それはパートナーを求める、というかれの生き方と矛盾するわけではないが、余りにも悲しすぎる強さ
のように感じてしまいます。

 俺は結局は誰のものでもない、母も父も兄弟も恋人も友達も子供も、俺が俺であることをやめさせることはできない、という確信。愛に満ちた瞬間が巡ってくる度に、この言葉が脳裏に浮かびます。

 この歌の主人公は、自分自身であることを選択したために最愛のひとが去っていくのを傍観しているしかなかったのだと僕には思えます。それは「冷たい愛情(ジェラシー)」の思いの残響のようです。

 ジェラシー 世界中を 敵にしたとしても
 お前をすべてを離したくはなかった

 (・・・・)

 だけど二人の愛は 生まれ変わることなく
 夜の闇の中へ 冷たく消えていく
 俺とお前の愛は 生まれ変わることなく
 夜の輝きの中 はかなく堕ちていく