恐怖の肉野菜炒め

元々あんまり外食が好きでない方なので、延べ5日ほど続けて完全に飽きてしまい、ここ数日自前で作っています。

外食とか弁当で選ぶときはあれもこれもイマイチ、で、なかなか決められないのですが、不思議なもので自分でつくるとなると、毎日同じものでもまったく問題を感じません。

基本は適当に野菜、肉。これを適当な火加減で適当に黒胡椒と塩あるいは醤油を加え、適当な時間フライパンでいためます。適当に見た感じ生っぽくなくなったら完成。適当に卵など加えてもよろしいですね。僕は卵はほぼ生派なのでフライパンの中で混ぜたりしないで目玉焼き状態です。これと白御飯を一緒にいただきます。

はい、そうです、ただの肉野菜炒めです。

ここにもうひと手間かければ、カレーにでもビーフシチューにでも中華にでも、いくらでもバリエーションは広がるのでしょうが、何と表現すればいいのでしょうか、この気持ちを。「あっ、そう。でもやらね」って感じです。嫌だとか、好みの問題とか、ポリシーだとか、メンド臭いとか、そういう次元でなく、本当に何かヤバいくらいにそういう工夫の必要性を感じない。

外で適当な弁当を買って食べたりすると、変わり映えのなさに侘しい気持になったりもするのですが、自前だとそういう感慨もなく、普通に美味しくいただけます。

7年くらい一人暮らしの経験もあって、その間にも何一つ積極的に料理を覚えようという気も起きなかった男なので、これはもう性格なのでしょう。まぁ勿論旨いものは好きだし味もそこそこわかると思いますし、特にコンビニのパンや肉まんじゃなきゃ嫌!というような偏食でもないんですが(というかそういうものは積極的に食べたいと思わない)、食べ物が目の前にない限り積極的にそれを求めようとする意欲が余り出てこない。あるいは漫画や小説など、文字情報に刺激されてラーメン食いてーみたいな状態になることもありますが(映像はあんまり来ない)。

ただ、結局何でもいいひとという風に思ってもらうと困ります。自炊で炒め物というと、ソーセージやハムやベーコンを使うひとも多いでしょうが、僕はそういった加工物はあんまり好きじゃない。ソーセージなどが安上がりならわかるのですが、普通の肉の方が逆に安かったりする。そうするとわざわざそれを選ぶ意味がわからないです。炒め物じゃなくて、そのままビールやワインと一緒に食べるのなら好きなんですけど。あれらはすでに味付けまでされて食べ物として単品で出来上がった状態であって、食材ではない気がします(無論本来はきちんとした食材であることはわかっていますが)。同様にフライ物もおかずとして他のものと一緒に出てくるのが理解できない。御飯と合わないじゃないですか。大阪の串カツ屋みたいに食するもののような気がします。ああいう強烈な個性を持ったものと引き立て合うのは酒だけではないか。

何が言いたいかというと、ひとつの味が支配的にならず、すべての食材が引き立てあって奏でるハーモニー、これですね。カレーペーストなんかにしろ、ソーセージなんかにしろ、そういう意味で我が無駄を削ぎ落とした究極のセレクトからは排除されます。ひとつの味が自己主張が強烈になりがちな外食も同様です。何も足さない、何も引かない。すいません、嘘です。今思いつきました。

まぁ自炊の際には是非肉野菜炒め、お試しください。って、ごめんなさい、ビタイチ参考にしてもらおうという気のない記事をレシピのカテゴリに投稿しちゃって、ごめんないさい。怒らないでください。葱あげますから。