ありがとうギッセル

「今よりももっと若かった頃、人生はもっと単純で道どこまでもまっすぐに開けて見えた

 今僕は戸口に座り、楽しそうに過ぎ行く子どもたちを途方に暮れて見ているだけ」

 こんな感じの歌詞の歌があったと思うんですが、どれだったか思い出せません。ローリングストーンズかなあ・・・。

早くも入梅(つゆいり)か?と思われた天候もここ数日は晴れ間を見せ、最寄の駅まで自転車通いの僕にとっても嬉しい限りです。

 近年周辺でちょっと不運が続き、もう僕もそういう年代なのかなあ、などと嘆いてみたり。それでも
人はいたってぴんぴんしているのですから、贅沢はいってられませんね。

 それでも不幸な気分になってばかりいてはやりきれない、というわけで、お金で買える幸せは買いまっしょ(アホ)。甲斐バンドの10枚組ライヴボックスをお買い上げ。これまでほとんど幻とされていた伝説の花園ラグビー場ライヴ(1981年)の音源など、80年代の甲斐バンドライヴのハイライトを網羅しています。

 昨夜、まず花園の2枚目から、聴きました。このころの甲斐バンド(というか甲斐よしひろ)は、レゲエやアフリカンリズムなどに接近を試みていた頃で、前奏に入ってるパーカッションなんかが、同時期のライヴアルバム『流民の歌』のそれともまた違うラフな味わいです。甲斐よしひろの歌い方もちょっとカット唱法(?)気味で結構新鮮。途中で気持ちよく眠りに入ってしまいました。

 このボックスのCDのブックレットには、甲斐バンド甲斐よしひろ、松藤英男、田中一郎のインタヴューが掲載されているのですが、花園のインタヴューを読んでいてショックだったのが、「大森信和はこの頃既に白血球値が下がったりして病気がかなり深刻な状態だった」という発言。甲斐バンド解散当時から大森信和が亡くなるまで、解散の直接の原因は彼の難聴とアナウンスされていました。まだほかのライヴのブックレットを見ていないのでもっと突っ込んだ発言があるかどうかわかりませんが、この発言によれば、実は大森さんの生命を奪った難病が、80年代初めから甲斐バンドの存続を常に危うくしていたということではありませんか。そう考えると色々なエピソードがこれまでとは違って見えてきます。

 さて、昨日はライオンズのギッセル投手が今季一軍初先発で貴重な1勝を挙げてくれました。リーファーも一定の結果は残してくれていますし(出番の少なさを考えれば)、残念ながら2軍落ちしているグラマン投手も含めて、今季加入した外国人選手は皆貴重な戦力となってくれています。外国人選手の皆さん、開幕前は名前だけで「使えない」なんていってしまってごめんなさい(笑)。今季は伊東監督の苦心の采配に選手たちが応えてくれています。僕としてはかつてのドラ1高山久選手が活躍してくれているのも嬉しいところ。他の今は2軍に甘んじている選手、落とされている選手も、どんどんアピールして欲しいものです。

 僕の生活にも晴れ間は見えた、か(笑)?