虜になってしまいそう
WEB上を見ていると、色んなオーディオマニアなひとびとがいるようだ。かれらがフェイヴァリットに
挙げている音楽も結構多岐に渡る。クラシックやジャズという正統派(?)がやはり多いが、日本の古い
歌謡曲、カントリーミュージック、アニメの声優、中にはいわゆる<美少女>ゲームのサントラ、という
ひとまでいる。
僕はそのようなオーディオマニアのひとたちのレヴェルのこだわりには到底敵わないが、甲斐よしひろ
、甲斐バンドの音楽をいい音で聴きたいために色々手を入れている、とわざわざ自慢げに言いふらすいう
奇特な人も他にいないと思う。というよりも、ファン同士の交流で、どんな再生装置で聴いてますか?と
いう会話が交わされる類のミュージシャンではないのだろう。
甲斐バンド時代、甲斐よしひろは<ブルーカラーの音楽>を標榜していたし、かれが想定していたファ
ン層は高級オーディオセットの前でソファに深々と身を沈め、ワインを傾ける、というような(イメージ
が古い)ひとびととは対極にあった、と思う。
僕も、甲斐よしひろがソロになって以降はともかく、甲斐バンド時代はアルバムのクォリティよりもラ
イヴの勢いで勝負していたのだと考えていた。
だが、高校時代から聴き始めた甲斐よしひろの音楽になんとなく距離ができた数年の間に、少しずつ他
の音楽も聴くようになって、しばらくぶりにちゃんと甲斐バンドのアルバムを聴いてみると、印象が変わ
っていた。以前は気づかなかったアルバムの色んな要素が見えるようになってきた。様々な洋楽からの影
響、技術的な工夫、ライヴ独自のアレンジと思っていたのが、実はすでにアルバム収録時からきちんと入
っていた、ということさえある。僕は高校時代もどちらかというとソロになって以降の甲斐よしひろが好
きだったのだが、そこからようやく甲斐バンドの魅力に気づき、色んな条件で聴くたびに新たな側面を発
見する思いで、また熱が再燃してしまった。
どちらかというと技術的なアイディアに乏しいと思い込んでいた(ファンにもかかわらず(汗))、甲
斐バンド、というバンドが、実は重度の音楽マニアの集団であり、かなりのこだわりを持ってアルバムの
音作りをしていたことがわかってきた。ここに残念ながら甲斐よしひろがソロになって以降は減退した勢
い、熱が絡み合い、音楽集団としてかなりのレヴェルに到達しているように感じる。古くからのファンが
甲斐バンド時代にこだわるのもようやく納得できた。
80年代、甲斐バンドがアルバムのクォリティを追求して海を渡り、ニューヨークの名プロデューサーボ
ブ・クリアマウンテンに、最後の仕上げ、竜に目を書き入れることを託したのはファンならば知らないも
ののないエポックだが、当時はどちらかというとローリングストーンズやホール&オーツ、ブルース・ス
プリングスティーンのアルバムを手掛けた世界的なプロデューサーとの仕事、という外的な側面に圧倒さ
れ、アルバムの音楽的な完成度は二次的な話題(というよりも、<あの>ボブ・クリアマウンテンが手掛
けたんだから凄いに決まっている、というレヴェル)に押しやられしまった嫌いもあるようだ。
だが現在、俗に<NY3部作>と呼ばれる、NYで(主に)ボブ・クリアマウンテンによってミキシングさ
れた『虜-TORIKO-』、『GOLD-黄金』、『LOVE MINUS ZERO』の3作を聴くと、その音楽性の高さ、生
命感に圧倒される。音が粒ではなく、塊として押し寄せる。この当時、急激に時代のリズムを身につけて
いった甲斐バンドの躍動感を、生きたままレコードの上に刻みつけることに成功しているボブ・クリアマ
ウンテンの力量はもはや、神業、と叫びたくなる(CDで聴いていてさえ)。
ここから書くことは蛇足になってしまうかも知れないが、もう少し続けたい。
ミュージシャンが<レコード>の中に託す思い、というものは、われわれ<消費者>が思う以上に深
く、広い。記録音楽とは消費され、置き去られていくものではなく、更にミュージシャンの当初の意図ま
でもを超えて、鳴り続けることができる。それは既に、生演奏の複製に<過ぎない>のではなく、複製芸
術というアートであり、そこにわれわれ<受け手>が積極的にこれまでとは別のかたちで関わることで展
開していく。録音音楽の再生とは、芸術的体験であると同時に、芸術的表現の一形態でもある。
このように考えれば、混迷する音楽と人間との関わりにおいて、重要な要素がが見えてくるのではない
だろうか。
挙げている音楽も結構多岐に渡る。クラシックやジャズという正統派(?)がやはり多いが、日本の古い
歌謡曲、カントリーミュージック、アニメの声優、中にはいわゆる<美少女>ゲームのサントラ、という
ひとまでいる。
僕はそのようなオーディオマニアのひとたちのレヴェルのこだわりには到底敵わないが、甲斐よしひろ
、甲斐バンドの音楽をいい音で聴きたいために色々手を入れている、とわざわざ自慢げに言いふらすいう
奇特な人も他にいないと思う。というよりも、ファン同士の交流で、どんな再生装置で聴いてますか?と
いう会話が交わされる類のミュージシャンではないのだろう。
甲斐バンド時代、甲斐よしひろは<ブルーカラーの音楽>を標榜していたし、かれが想定していたファ
ン層は高級オーディオセットの前でソファに深々と身を沈め、ワインを傾ける、というような(イメージ
が古い)ひとびととは対極にあった、と思う。
僕も、甲斐よしひろがソロになって以降はともかく、甲斐バンド時代はアルバムのクォリティよりもラ
イヴの勢いで勝負していたのだと考えていた。
だが、高校時代から聴き始めた甲斐よしひろの音楽になんとなく距離ができた数年の間に、少しずつ他
の音楽も聴くようになって、しばらくぶりにちゃんと甲斐バンドのアルバムを聴いてみると、印象が変わ
っていた。以前は気づかなかったアルバムの色んな要素が見えるようになってきた。様々な洋楽からの影
響、技術的な工夫、ライヴ独自のアレンジと思っていたのが、実はすでにアルバム収録時からきちんと入
っていた、ということさえある。僕は高校時代もどちらかというとソロになって以降の甲斐よしひろが好
きだったのだが、そこからようやく甲斐バンドの魅力に気づき、色んな条件で聴くたびに新たな側面を発
見する思いで、また熱が再燃してしまった。
どちらかというと技術的なアイディアに乏しいと思い込んでいた(ファンにもかかわらず(汗))、甲
斐バンド、というバンドが、実は重度の音楽マニアの集団であり、かなりのこだわりを持ってアルバムの
音作りをしていたことがわかってきた。ここに残念ながら甲斐よしひろがソロになって以降は減退した勢
い、熱が絡み合い、音楽集団としてかなりのレヴェルに到達しているように感じる。古くからのファンが
甲斐バンド時代にこだわるのもようやく納得できた。
80年代、甲斐バンドがアルバムのクォリティを追求して海を渡り、ニューヨークの名プロデューサーボ
ブ・クリアマウンテンに、最後の仕上げ、竜に目を書き入れることを託したのはファンならば知らないも
ののないエポックだが、当時はどちらかというとローリングストーンズやホール&オーツ、ブルース・ス
プリングスティーンのアルバムを手掛けた世界的なプロデューサーとの仕事、という外的な側面に圧倒さ
れ、アルバムの音楽的な完成度は二次的な話題(というよりも、<あの>ボブ・クリアマウンテンが手掛
けたんだから凄いに決まっている、というレヴェル)に押しやられしまった嫌いもあるようだ。
だが現在、俗に<NY3部作>と呼ばれる、NYで(主に)ボブ・クリアマウンテンによってミキシングさ
れた『虜-TORIKO-』、『GOLD-黄金』、『LOVE MINUS ZERO』の3作を聴くと、その音楽性の高さ、生
命感に圧倒される。音が粒ではなく、塊として押し寄せる。この当時、急激に時代のリズムを身につけて
いった甲斐バンドの躍動感を、生きたままレコードの上に刻みつけることに成功しているボブ・クリアマ
ウンテンの力量はもはや、神業、と叫びたくなる(CDで聴いていてさえ)。
ここから書くことは蛇足になってしまうかも知れないが、もう少し続けたい。
ミュージシャンが<レコード>の中に託す思い、というものは、われわれ<消費者>が思う以上に深
く、広い。記録音楽とは消費され、置き去られていくものではなく、更にミュージシャンの当初の意図ま
でもを超えて、鳴り続けることができる。それは既に、生演奏の複製に<過ぎない>のではなく、複製芸
術というアートであり、そこにわれわれ<受け手>が積極的にこれまでとは別のかたちで関わることで展
開していく。録音音楽の再生とは、芸術的体験であると同時に、芸術的表現の一形態でもある。
このように考えれば、混迷する音楽と人間との関わりにおいて、重要な要素がが見えてくるのではない
だろうか。