なにものかであるわたし

 私には密かな野望がある。


 それは「ここでキスして」を椎名林檎そっくりに唄える女房を持つこと。もし私とふたりっきりでカラ

オケに行ってそんなことをしてくれる女性がいたら、頭が真っ白になって、なにかとんでもないことを口

走ってしまいそうだ。


 いわゆる、椎名林檎節、というものはあまり好きではない。ああいう一発芸みたいなものが本質と捉え

られるのは表現者にとってもあまりいいことではないのではないだろうか。


 私が「ここでキスして」にグッと来るのは、「わたしはなにものかになる」という確信が、未だ固定さ

れた<椎名林檎>という役割に飼いならされていない次元から出てきたものに思えるからだ。


 「あたしは絶対貴方のまえじゃあ さめざめ泣いたりしないでしょう
 
  それはつまり 常に自分が アナーキーな貴方に 似合うため

  現代のシド・ヴィシャスに 手錠かけられるのは あたしだけ」


 この曲は、椎名林檎が高校時代に書いたらしいのですが、そう思ってみると妙に生々しくてまた素敵で

すw。デビューした頃には「この譜割はありえない」と、すでに過去のものとなっていたはずだが、実は

椎名林檎」時代の名曲とされる「ギプス」や「虚言症」といった曲は「ここでキスして」と同時期につ

くられたものらしい。


 そこには未だ確たる姿を持たないながらも、はっきりと予感される<わたし>という存在への確信が溢

れている。迂闊さや弱さ、姑息さ幼さを表現者として自己検閲する術を身につけてしまう前の、溢れ出す

目映い生の奔流。