ワイセツな日本の私

 いわゆる若者文化に属するものというのは、なんであろうとそうなのだが、必要以上にナイーヴなもの
、幼稚のレッテルを貼られ、少しでもセクシュアルな要素が前面に押し出されるとすぐにいわゆるオトナたちにショックを与え、深刻な表情にさせる。漫画でも、アニメでも、音楽でもいまだにそうだ。オトナたちは、まるでこれまでこの世に原罪というものが存在せず、これらの作家がパンドラの箱でも開けたかのように動揺する。

 だが、そのようなオトナたちであっても、古くは戯れ歌、猥歌に囲まれて育ってきている筈だし(喩えが古すぎるかw)、<若者の精神を汚染する劣ったゴミ>と無縁な時代を生きてきたようなひとなどない筈だ。

 ロックに代表される若者音楽にしても、その歴史からして露骨な性的表現に満ち満ちている。ロックのリリックの源流であるブルースなど、「俺の黒蛇がのたうちまわる」「ママ牛の乳を搾らせて」「俺のデカいマグナム」といった類の常套句に満ち溢れている。

 一方で、世間にはかなり無難な若者音楽が流通しており、それもかなりの層に受け入れられている事実がある。The Baetlesなんかはそもそもその存在がワイセツなものとしてバッシングを受け、寧ろセクシュアルなイメージが強かったものと思われるが、歌詞自体はアイドル的で、直接セクシュアルな描写は少ない。まあ、他の部分で色々アレな表現はあるが・・・。そういう訳で教科書に載ったりもできる。

 こういった無難な<若者音楽>というイメージは、Chack Berry辺りから醸成されてきたもののようで、音楽的な質とは別に、ハイスクールの少年少女の放課後の無難なお付き合い、というお上品な家庭の居間にも受け入れられやすいリリックを発明し、黒人の音楽だったR&Rの市場を大きく広げ、同時に<家庭公認>への堕落の途を拓いた功罪相半ばする人だと思う。

 日本はかなり去勢されたおコちゃま音楽のキャパシティーが大きい市場らしく、オフ・コースやらハウンド・ドックやら、THE ALFEEやら、教育委員会御用達かと思われるようないわゆるニュー・ミュージックが幅を利かせてきた。オトナになってから聴き返しても自らの青春のはづかしいシミや臭さに愕然とさせられる要素が少ないからか、こういった連中は息が長い。現在でも、ゆずやらHYやらいう、愛国右翼の手先かと思われるようなここまで来たらいっそセックスドラッグロックンロールよりも精神に悪影響なのではないかと思われるような輩を平気で中学生や高校生が聴いて感動とかしてる。

 オイオイ、お前ら大丈夫か。そもそも、青春とは愛と欲が見境もつかずぐっちゃぐたで、ホルモン過剰な汗も媚薬の季節の筈である。お前らの向こう見ずな衝動はどこに消えてしまったのか。食べ物のせいで中性化でもしてんのか?タ○あんのか?

 失礼・・・w。

 ロックとは、音楽とはワイセツであるべきである。世のお母様方、彼女を自転車の後ろに乗せて坂道をゆっくりゆっくり下ってくような柔な音楽を聴いてる息子さんをこそ心配すべきなのです。