うどんは長けりゃええってもんやないど~

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 本日は三日酔いも抜けないというのに、付き合いで映画館に『UDON』を観にいってきました。僕はユースケ・サンタマリアとやらが大大ダイッ嫌いなので(小西真奈美に演技力があるとも思えない)、最後まで抵抗しましたが、映画が始まった途端にもっと抵抗しときゃよかった、と後悔し、その苦しみは時間が経過するにつれ募っていきました。

 ともかく何であんなに長いのか

 公表されてる尺は2時間14分らしいですが、もっともっとずっと長く感じましたよ、ええ、ゴッドファーザー特別完全版』(約10時間)より

 とにかく、ヌルい。最初から最後まですべて先の読める展開。(笑)がウリらしいですが(映画の中で笑いは健康にいいのです、とかわざわざだれかの名言を引いて主張してました)、笑いを取る場面でもその前振りの段階から予期した通りの展開しかないのでクスリとも笑えんです。内容も全てが予定調和。エンターテイメントに作家性などいらんのじゃ!というのが最近の日本映画お得意の論法のようですが、それにしてもすべてがお約束の展開、そして学芸会のような馴れ合いの雰囲気の中で2時間以上も持たせるのは土台無理です。観てるほうが苦痛です。これの監督は『踊る大捜査線』シリーズのヒットなどで最近最も稼げる監督らしいですが、これで!?という感じ。心底ガッカリです。まあ煮ても焼いても僕には気に入る筈のない内容ですが、せめて編集技法の部分でも見るべきものがあればここまで酷評はしないです。富野由悠季ならこれの十倍の情報量の題材でも90分以内でまとめますよ。

 まあ最近は詰らないディティール(お約束)をきっちり描いてみせないと観客が納得しないと思われてるようですが、舐められたもんですね、日本映画の観客。

 三日酔いも相俟って上映が終わってからはもうグッタリでした。責任を持って観に行かないことをお勧めします。デートなんかで観にいってもあんな半端なカタルシスのない展開じゃ全く盛り上りませんよ。保障します。約2時間グッスリ寝たいならいいかも

 *画像は http://studiomd.jp/md_contents/free/pict_anml.html よりいただきました。

2006年9月3日 追記

 http://diracsocean.blog16.fc2.com/blog-entry-608.html

 こちらのブログでこの映画に関する的確な論評をされています。僕の記事は言葉足らずですが、こちらを見ていただければ納得していただける部分もあるかと思います。

 ネットで関連記事を検索してみたところ、好意的な評価の方が目立つようですが、やはりこの監督の前作までの出演者が多数カメオで出演しているから、とか、讃岐うどんが食べたくなるから、とか、映画の本筋(これにあるのか?)とは関係のないところで重箱の隅を突っつくような楽しみ方をされている人が多いのが気になります。

 現代はサブカル的な盛り上げ方がマーケティング手法として広く浸透している時代とは承知していますが、やはり中心がしっかりしていないと、つまり映画ならその映画自体に相当の魅力が伴わなければ、それもいずれは先細りになってしまいます。その題材の背景、周辺状況を知らない人にも興味を持てるつくり方をしていかなければ、それは限られた対象、限られた期間で消費され尽くしてしまうものにしかなりえません。よく映画はお祭りなんだからそれでいいんだ、などという論法で語られますが、それは危険なレトリックであり、現実のお祭りは一定期間ごとに再現可能なイヴェントですが、映画は基本的にそれ一本で完結するものです。更にその体験の仕方も観客が受身で与えられたものを観てやる、というスタンスなのですから、参加型のお祭りとは異なり、同じものばかりを提供し続けていれば飽きられ、例えシリーズものとして永続的な興行を目指そうとしても成功はかなり困難です(また、祭りの主役は<場>ですが、映画にはアイコンとしてのアクターの存在があり、そのエネルギーの結集とは本来一回性の強いものです)。

 世界を見渡してみれば、グローバリズムの波の中、近年、ほとんどの文化圏の映画産業は、土着の内輪受け的文化要素を薄め、誰にでも楽しめるエンターテイメント作品を志向してきています。その是非は別にして、映画というそれ単体で完結し、後世まで伝えられ得る芸術表現の可能性を考えたとき、外に向かって開かれ、一時の熱で消費され尽されない強靭さを持った作品製作を目指すことは自然なことです。ところが、現在の日本の映画産業の主流は、内輪受け、その時々に流行っている外的な文化事象に乗っかって観客を動員し、DVD、関連媒体を売り上げられればそれでよしとし、対外的な評価は北野武宮崎駿に任せておけ、というスタンスで逆に縮こまってしまっています。

 僕も『ガンダム』などと共に育ってきた世代ですから、タイアップムービー、関連媒体の売り上げを助長するための、またはその人気に乗っかって製作される映画そのものは否定しません。ですが、そういった思惑があってもなお、一個の独立した芸術表現として昇華する努力は可能ですし、タイアップムービーでありながら、その状況を超えてひとつの作品として評価されるべき例も実際に存在します。個人的な趣味を抜きにしていえば『Shall We Dance?』などは香港にもフォロワーを出現させ、アメリカでリメイクされるような評価を得たし、『バトルロワイヤル』もエンターテイメントとして楽しめました。それらは映画興行としてだけでなく、周辺市場に与えた経済的効果としても成功したものだったと思います。

 最近の巨額の宣伝費をかけた『ゲド戦記』やら『M-IⅢ』やらの商業的失敗の例を引くまでも無く、映画製作者としての最低限のプライド、自負が無ければ、<たかが>タイアップムービーとしての目的を達成することも覚束ないのです。日本の映画関係者にも、映画人を自負するのなら、また、俺は映画人なんかじゃない、ビジネスマンだ、とでも嘯く人がいるのならなおさら、映画をテレビの延長として軽く踏み込んでいいものと捉えず、その器の計り知れない深度を認識した上で取り組んで頂きたい。とにかく1500円、入場料を取って、関連グッズを売ってしまえば後は知らない、というような商売をいつまでも続けていれば、日本映画は今度こそ本当に潰れます。