結構駄洒落好きなマイルスおじさん

 最近は、マイルス・ディヴィスの1960年前後10年くらいのアルバムばかり聴いている。

 何枚かアルバムを買って適当に流しているので、どの曲がどのアルバムにはいっているということもあまり定かではない状態で(『カインド オブ ブルー』と『スケッチ オブ スペイン』はさすがにわかるが)、どのフレーズが好き、とか、マイルスらしい、とかもいえないのだが(というか実はどの音がマイルスの音かもきちんと聴き分けていないかも知れない)、とにかく単純に聴いていて気持ちいいのである。

 他のひとのJAZZのアルバムも何枚か買ってみたりしているのだが、どれもイマイチピンとこないし、何回も聴きたいとは思えない。歌モノも、殆どは何でいまだに1920年代のビッグバンド時代のケバケバしい模倣をしているんだろう、と聴いているとウンザリしてくる。無知なので選び方が悪いのだろうが、それにしてもマイルスだって現在では完全に模倣再生産され尽くして常套句化している筈なのに、何故かかれのアルバムばかりを何回も聴きたくなるというのは不思議な気もする。
 
 不思議なもので、ロックでもダンスミュージックでも、いくら巧くても興味の沸かないものは何回も聴きたいとは思わないし、マライア・キャリークリスティーナ・アギレラの声がいくら凄くてもお金を出して買う価値がある気がしない。歌が下手でもマドンナやオアシス、甲斐よしひろのアルバムは何回も聴いてしまう。でも、かれらの音楽の何がそんなに響くのが口では本当には説明できないような気がする。結局、どんな音に一番グッと来るか、というのは、そのひとの中にある生命リズムに関係があるのかも知れない。

 マイルスも僕にとってはそういうひとりなのかも知れない。