政治ニュース「安倍首相「国旗国歌への敬意重要」=教基法改正案、参院で実質審議入り」




 安倍晋三首相は22日午前の参院教育基本法特別委員会で、学校の卒業式などでの国旗掲揚と国歌斉唱について、「自国の国旗国歌への敬意、尊重の気持ちを涵養(かんよう)することは極めて大事」と述べ、「政治的闘争の一環として国旗の掲揚や国歌の斉唱が行われないことは問題」との考えを強調した。

 自民党舛添要一氏が、一部の学校では国旗掲揚などが行われていないことを「法律違反」と指摘したのに対する答弁。伊吹文明文部科学相は、国は教育委員会に対し要請や指導をするが、現場が従わない場合の権限が無い点を挙げ、「これをどうするか、与野党を超えて、教育の根幹にかかわる問題として議論してほしい」と述べた。 

時事通信) - 11月22日13時2分更新



 またぞろ出ましたね。「国旗の掲揚や国歌の斉唱が行われないこと」と「政治的闘争の一環」をイコールで結びつけ得るかのように見せかける詭弁に騙されてはならない。

 よく、愛国心の必要性を説く際に、「アメリカ合衆国や世界の殆どの国では国家や国旗に非常に誇りを持っており、国民として当然の態度」との説明が行われるが、当然国によって国家の成り立ち、歴史は異なるし、国旗、国家に込められた意味合いも異なる。例えば、アメリカ合衆国国歌の1番の訳詞は、

  おお、見ゆるや 夜明けの淡き光を受け
  先の夕暮れ 陽が落ちるとき 我らが歓呼しもの
  そは太き縞と輝く星なり 危うきいくさのあいだ
  塁壁の上に見たり 勇壮にひるがえりし かの旗/
  のろしの赤き炎立ち 砲音宙に轟くなか
  耐え抜き 旗はなおそこにあり
  おお、星散りばめたる旗は 今なおたなびくや
  自由なる大地 勇者の故郷


 同じくフランス共和国国歌

1番
  いざ進め 祖国の子らよ
  栄光の日は やって来た
  我らに対し 暴君の
  血塗られた軍旗は 掲げられた
  血塗られた軍旗は 掲げられた
  聞こえるか 戦場で
  蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
  奴らはやってくる 汝らの元に
  喉を掻ききるため 汝らの女子供の

  武器を取れ 市民らよ
  組織せよ 汝らの軍隊を
  いざ進もう! いざ進もう!
  汚れた血
  我らの田畑を満たすまで



  起て! 奴隷となることを望まぬ人々よ!
  我らが血肉で築こう新たな長城を!
  中華民族に最大の危機せまる
  一人びとりが最後の雄叫びをあげる時だ
  起て! 起て! 起て!
  敵の砲火をついて進め! 敵の砲火をついて進め!
  進め! 進め! 進め!


 ロシア連邦国歌の1番

  ロシア、聖なる我らが国家よ
  ロシア、愛しき我らの国よ
  力強き意思、大いなる栄光は
  汝が持てる物、いつの時にも!

  讃えあれ、自由なる我らが祖国
  幾世の兄弟なる民族の結束
  父祖より授かった人々の英知よ!
  讃えあれ国よ、汝を誇らん!




 どれも人民の独立、自由を謳っている。中には現在となっては内容が不穏にも思われるものもあるが、これに誇りを持つ気持ちはわかる。だが、「君が代」はどうか。

  君が代
  千代に八千代に
  さざれ石の
  いわおとなりて
  こけのむすまで

 これは明治維新の精神を謳った訳でも、敗戦後の新日本、新憲法の精神を謳った訳でもない。ただ「天皇=皇国」の長久不滅を願った詞だ。なるほど、日本は未だ象徴天皇制であり、この歌が国歌でも構わない。だが、天皇神政ではない。日本国憲法の前文には天皇について言及する前に

   日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のため  に、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為  によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存すること  を宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威  は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これ  は人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切  の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 と銘記されている。我々は天皇制の存続よりも国民の権利と自由を基盤とする民主国家に生きているのだ。「君が代」はこの国歌原理にはまったく触れておらず、これを好む好まないは個人の勝手でこそあれ、誇りを抱くことを強要される謂れは全くないと考える(そもそも誇りとは強要されて得るものではない)。

 私個人としては、そもそも日本の民主主義をあやふやにしているのは、政策の最高決定責任の所在を曖昧にしている内閣制であると感じているし、天皇に何ら政策に関する決定権、責任を負わせられない日本にあっては本来首相は国民に直接信任を得、政治責任を負う大統領的存在でなければならない。天皇の存在がそれを妨げるのならはっきりいってそのような地位は不要である。また、先の戦争における天皇の権威の無力を思えば、そのような存在を戴いていることに誇りを抱かなければならない必要性を感じない(そもそも私は誇りとは個人への尊崇(個人崇拝)によって得られるものではなく、もっと高邁な理想、理念によって得られるものと考える)。

 もう一度書くが、明らかなのは、日本国歌、日本国旗が代表しているのは日本国民の権利と自由には関わりのない天皇の権威であることである。国家の理念において国民の権益が天皇の権益の上位にある以上、国歌と国旗を強要することこそが政治的闘争に中り、国民の権利と自由、意思の侵害である。

 我々皆が心から受容することが出来る国歌がるとすれば、「主権が国民に存すること」が「人類普遍の原理」であることを明確にし、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」決意を明確に示したものである筈だ。

 私はこのような現行の国歌、国旗を取り巻く事情に拠り、日本国の理念に適さない国歌と国旗の強要を断固拒否する。これは私個人の政治的信条の侵害云々以上に日本国の原理に関わる重大な違反であると告発する。