個と公

国民としての義務なんて、必要最低限の名目の納税と、法の遵守、そして投票行動、だけでいいと思う(高すぎるNHK受信料とか、根拠があやふやで偏った大麻規制とかは含みません)。だって国はひとを食わせるためにあるんだし、逆に個は国を護るためにあるわけではありません。

自由に伴う責任論なんてものが喧しく語られていますが、そんなものはナチスがすでに使っていた古~い大衆操作の手法で、単なる牽強付会。しかもあからさまで、個人的にはやるならもっと巧妙にやってもらいたいところ。まあ、それがまかり通るのが日本という国なのですが。

ひとが個の立場でものをいうとき、<>つきの自由ではなく、ことば通りの自由が存在します。それを企業の中の個人の責任論とごっちゃにするから話がそれてくる。

自分の働いている会社の悪口をいわないとか、極秘情報をリークしないなんていうのは、自由の問題ではなく、それがかれ自身の生活にも直結してくるものだから制限され得るのです。それだって本来はわざわざ明言して強要する必要のあるものではありません。だって、それを拡大解釈すれば企業としての不正を内部告発することすら制限し得ますから(実際そういう禁止事項を設けている企業がほとんどでしょうが、それは正当とはいえません)。

悪口をいって欲しくないとか、プライバシーを護りたいとか、そういうレヴェルのことのために、もっと大きなレヴェルの公的規制をよしとする言論人を見てると、情けなくなってきます。