12平均律のワンダーウォール

'Wonderwall' oasis 〔1995〕


今日があんたにとっちゃ運のツキあんたのやったことは全部あんたに降りかかってくる
今やあんたもこの事態にどうにか手立てしなきゃいけないことがわかったんじゃないのかい?
俺以上に今のあんたのことがわかってる奴は
いないと思うな

あんたのハートを焦がす炎はバックビートに連れられてワードになってストリートを横行してる
こんなのはあんたにとっちゃ前に何回も経験済み、そしてうまく切り抜けられなかったことなんてないなんてことは俺にはわかってるが
だけど今や俺以外にあんたのことをこんなに考えてる奴がいるとはとても思えないな

俺たちがいかなきゃならない道はみんなあの長ったらしく曲がりくねった道(ワィンディングロード)さ
俺たちを導く光は眩しすぎて眼が眩んじまう

あんたにいってやりたいことは山ほどあるんだ、
だけど言葉にしたら全部嘘になっちまう

だからさ、多分
あんたが俺を救ってくれるただひとりのひとだってこと
そして
俺がガキの頃思い描いたワンダーウォールなんだって

作詞 Noel Gallagher 作曲 Noel Gallagher 〔1995〕               
Youtube動画
http://www.youtube.com/watch?v=6hzrDeceEKc


どんな素晴らしい言葉も、使い続ければ多かれ少なかれ陳腐化する。愛してる愛してる愛してる愛してる・・・100回書こうかと思ったが、疲れるのでやめた。そういえば高校時代、英語で赤点取った罰に単語200回ずつ書いてこい!とかやらされたな~。はじめ確か10回ぐらいずつだったが、いつまで経っても締め切りまでに全然やってかなかったので、ペナルティの倍々付けでいって遂にそんな数になったのだ。それでも結局提出しなかったが。

言霊、という概念もあるが、究極の感情表現のひとつにも思われる、愛してる、も、余りに多用すれば初期の拘束力、抑止力、権力を失って、ただの俗っぽい音になることもあるだろう。日本語は特に限度というものを知らないので、本来は最上の敬意の表現であったものが俗化の果てに蔑称に近いところまで転化してしまったものが、貴様、とか、お前、とか、君とか、殿とか、手前とか、枚挙に暇がない。慇懃無礼、なんて表現も、日本語ならではだろうか。英語だと逆に、最大限の汚い表現が意味の無化の果てに結構普通の交互表現として定着してたりするのが面白いところだ。Bloodyとか、Fuckin'とか。

芸術表現は陳腐化を嫌う。だから、昔からあの手この手で目新しいことをやろうとして、遂には神話化、意味の徹底的剥奪の果ての物語元型との同一化、儒教道教は表に現れた様こそ違えど、実は同じだ、ということになる。しかし、そこまでいったら男と女は同じだし、性も聖も、神も悪魔も、天も地も混沌も秩序も同じということで昼も夜もわかりません、犬が西向きゃ尾は東、チョモランマはエヴェレスト、月が出たなら陽は昇る、ということになりかねないと思うのですがあなたどう思われる。

大体自分で悪いことか偉いことをやってると思ってる奴が秘密めかしたがるのは、結局のところ知れ渡ってしまえばなんてことのない、となってしまうことをわかっているからだ。シックスセンスのブルースウィルスは実は死んでました、ってのを誰も割らないなんてのは、結局世の中には重大な秘密、知られざる魔法なんてものは沈黙の掟によってしか生まれない、てことを知っているが故の事故の体験の特別化の衝動の生み出すものだろう。ブレアウィッチ、ツインピークスエヴァンゲリオンの拍子抜けは、この世の理の他のもの深遠なる智識を求める消費者の満足は、最早自制によってしか生まれないことを示す。

聖なるものの陳腐化に対抗する手段のひとつが、パロディだ。意味を積極的に陳腐化するこの行動は、パロディに対する原典、偽者にたいする本物の価値の構図を形成する。そこに閉鎖的な優劣関係、対置関係が発生するのだ。パロディはそれ単体としていくら優れていてもオリジナルなしには語り得ない。中にはオリジナルが忘れ去られ、パロディだけが生き残っている例も沢山あるが、それにしても本来的に、パロディはパロディであることによって意味を獲得するのであるから、それによって絶対化されたオリジナルの存在なしには凡百の陳腐化する流れゆく情報と一緒になってしまう。そこで意味を獲得するために、パロディのパロディを必要としたりもするのだ。

模倣とは聖なる行為であり、模倣者は神に仕える聖なる乞食、道化であり、つまり神の依り代、神の代表表現である。夜は昼を模倣し、月明かり照らす部屋は昼の残照、愛によって恋人たちは似たもの同士になっていく。

結論がないのは不安だ。決まり文句による締めは物語によって引き剥がされた日常へと軟着陸するポートの役割を持つ。種明かし、意味づけ、述語の欠けた言葉はひとを虚空に放り出された不安に陥れる。だから、


グレン・グールドのアルバムで、「バッハの平均律クラヴィーア曲集」のいうのがあるのを見て、その妙にSFチックな響きが気に入った。ちなみにClavier(Klavier;クラヴィーア)とは当時のドイツ語で鍵盤楽器全般のことを指す。

wikipediaの「12平均律」の項目によると

「十二平均律とは、1オクターブを12等分した音律である。隣り合う音の周波数比は12√2:1で、これは西洋音楽の半音にあたる。

一般的に、2音が単純な周波数比にある時、美しく響く状態になる。このような音程を純正音程と呼び、調律法ではこれを利用して音階を定める。例えば、ドとソの幅にあたる完全5度は、2:3(1.5倍)の周波数比である。また、1オクターブは1:2(2倍)となる。しかし、このような純正音程で通常の西洋音階は作成しようとすると矛盾がおこる。例えば、完全5度は12回上方に積み重ねると、12種類全ての音を経由して7オクターブ上の音程に到達する。しかし、周波数比の3/2は12乗しても2の7乗にはならない。このように、ある音程(例えば5度)を全て純正に保とうとすると、他の音程(例えばオクターブ)が純正にならないといった現象が避けられない。」

十二平均律とは、つまり、こういった矛盾を解決するために「12音全ての音を純正音程から均等にずらした調律法」なのだ。

ミューズのもたらしたもう音楽ですら絶対の法則を見出せない。いわんや、すべての論理理論は、なべて絶対に起こりえない仮定を前提にして成立するといっても過言ではない。実証的な理論などというが、それはただ体系的な理論にまだ辿り着いていないだけだ。すべてをことばで語りつくそうとしたとき、矛盾が生まれ、現実は嘘となり、異化する。

だが、ひとは信じるものなしには生きられない。ここまでいうのもトゥーマッチだが、俺にも信じたいものはある。それはワンダーウォールであり、バナナフィッシュであり、朝食を食べられるティファニーだ。


「ワンダーウォール」とは、無論ジョージ・ハリスンサウンドを手掛けたサイケ映画のタイトルからきているのだが、ギャラガー兄弟は子供の頃、ベッドが接する壁をワンダーウォールと呼んで、クリップボードのように絵や文章や写真を貼り付けていたのだという。それは確かに少年たちのワンダーウォールだったに違いない。