データベース化する世界

他の人はどうなのか知らないが、大学時代の僕の文献の読み方は完全にネタ元だった。

元々、論理的な文章を読むのが苦手なこともあって、研究者の主張や分析はほとんど流してしまって、自分に必要な部分だけ拾い読みするやり方だったので、一冊全部を読み通した、という記憶がない。

何だか勿体ないなぁ、と思うのだけど、自分の課題という重荷がない今ならばと、手に取って読み返そうとしてみてもやっぱり数ページで眠くなってきて読み通す気力は湧いてこない。

最近、僕の文献の読み方に似ているなぁ、と思うのがインターネット上の情報の読まれ方。ほとんどの場合、読者は丹念に情報を読み込むのではなく、斜め読みで自分の欲しい情報だけを拾っていこうとするという。

研究書というのものも、種類によっては(数学書とかは知らないが少なくとも文系学問では)やはり本という形式を取っている以上初めから最後まで一本の論理的筋が通っていないといけないように思えるが、実際のところはその性質的にはインターネットブラウジング的な読まれ方が合っているのかも知れない。自分で書いていても、無理に前後の辻褄を合わせようとすると破綻してくる部分があるのを感じていたし、もっとハイパーリンク的に様々なトピックの有機的関連を構築できないものかとも考えていた。どうしてもかっちりとした決めつけが出来てしまい易い一本道の小説的書き方よりも、連想ゲームのようなもっと緩い書き進め方を漠然と頭に描いていたように思う。

考えてみると、コンピュータ上であればそれは実現可能なような気がする。だが、イメージするのは簡単だが、実現するには結局自分で動かなければならない。例えば日本語単語とアイスランド語単語を相互に関連付けてそこにマウスでポイントするだけで訳語を表示するとか、ある人物の名前や単語をポイントするだけでその説明の見出しが出て、更に詳細な解説項目があればそこに飛べるようにする。その仕組み自体は別にプログラムなんかの知識がなくともWordとかでできそうだし、ある程度自動的に関連付も出来そうではある。しかし、自分にとって便利なようなチューニング、カスタマイズは必要だろうし、そこの部分にかなり甚大な労力が必要になってくるだろう感じはする。それこそ自分で本棚を探して首っ引きしてた方が早いということになるのではないだろうか。

結局のところ、ネットを含めてデスクトップ上からアクセスできる様々なファイルやサイト内の情報を一元的に取り扱うことが出来るようにするという、MicrosoftGoogleAppleが取り組んでいる検索サービスの究極的な到達点と同じことなのだろう。現時点でもかなりのレベルにまで到達しているが、やはり社外ソフトウァアのデータ形式の違いや著作権・プライヴァシーの問題もあって、完全にシームレスというところまでの実現は難しいのかも知れない。

面白いと思うのは、マイクロソフトがキャッチコピーとしている<壁のない世界>というのは、世間的にはあまり身近でないというか、閉鎖的なイメージすらある研究分野にとても親和性が高い。逆に、より身近な存在である芸術、芸能、文芸的な分野というものは、そういったオープンさとは馴染まない、もっと個的・内的世界なのだ。そういった感覚的齟齬というものも、今後のデジタル技術の方向性を考える上での鍵であるような気もする。