言葉はキツイけど、石原慎太郎の言ってることは常に正論だと思うよ。(笑)
Wikipediaより抜き書き。
2010年6月19日、札幌市内で開かれたたちあがれ日本の集会で、菅直人内閣総理大臣について
「もし、自衛隊の観閲式の国旗入場で立たなかったら、構わないから殴れ。殴られてもしょうがない」
(北海道新聞 2010年6月20日)
2001年、「国会等の移転に関する決議」を「ばかな決議」と批判
(しかし、その際に同委員会の委員長から「新聞社の写真等を見る限り、石原参考人は(1990年の同決議の際に)起立していた」と指摘された。)
2016年オリンピック開催都市が決定する2009年10月2日に各国の候補都市から東京が選ばれない場合について、「責任を取らなきゃいかんでしょうね」2004年10月、都庁内であった首都大学東京の支援組織設立総会で
「フランス語は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」「都立大はフランス語の講師が8人いて、受講者は1人もいない」
ネットカフェ難民について、2008年10月3日の定例会見
「山谷に行けば1泊200円、300円で泊まれる宿がいっぱいあるのに、ファッションみたいな形で1泊1500円払いながら『オレは大変だ』なんて言うのはねえ」
*山谷の簡易宿泊所についてはこのようなエントリーを書かれている方がおられます。
2000年当時で1泊2000円前後の宿泊料金が一般的だったとのデータあり。*医学的には否定されます。→参考 こういうエントリーを書かれている方がおられました。
2010年12月3日、都青少年健全育成条例改正に関して
「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。使命感を持ってやります」
2010年12月7日(毎日新聞)
「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」
さらに過去に米・サンフランシスコを視察した際の感想を振り返り
「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」
同性愛者のテレビ出演についても
「それをことさら売り物にし、ショーアップして、テレビのどうのこうのにするってのは、外国じゃ例がないね」
*・・・・タイは?
1984年6月に結成された日本南ア友好議員連盟の副長であった。同議連には40人が参加し、南アフリカ共和国で実施されていたアパルトヘイト政策に対する国際的非難が強まっていた状況下で、レアメタルなどの希少金属の確保を目的とした活動をおこなっていた。アパルトヘイト政策の撤廃後にBBCが行ったインタビュー内で、BBCの女性インタビュアーから日本南ア友好議員連盟に所属していた理由を尋ねられた際、手元の水を彼女に浴びせてインタビュー会場から立ち去っている。(出典不明)
東京都議会平成22年第1回定例会
「児童ポルノや子供への強姦等を描いた漫画の蔓延を、見て楽しむだけなら個人の自由である、いかなる内容であっても表現の自由である、と許容することは、これは自由の履き違えであり、青少年を守り育てる大人としての責任と自覚を欠いた、未成熟な人間の自己保身に他ならない」
「創作物にはいかなる規制も許されない」と言う自分の発言を撤回した。(2010年?)
1999年9月、府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)を視察後
「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」
1983年の衆議院議員総選挙に際して、東京2区で対立していた自民党候補新井将敬の選挙ポスターに石原の第一秘書である栗原俊記が「'66年北朝鮮より帰化」というシール3千枚を貼って回り、現行犯逮捕された。
1975年、東京都知事選挙での演説で、対立候補の美濃部亮吉に関して
「…もう新旧交代の時期じゃありませんか、美濃部さんのように前頭葉の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」
さすが石原さん、人道と平和に対する犯罪な暴論でも、<正論>と呼び方を変えれば何となく許されちゃう!不思議!・・・・・