神殿の火事から逃げ出した神様―――ソルゲルズ=ホルタブルーズルのはなし

 

 「千葉妙見大縁起絵巻」に、堂が燃えて助けを求める神様の絵があるというツィート(多分千葉市立郷土博物館が刊行している「紙本著色妙見大縁起絵巻」の復刻版)。

 

 これを見たとき、アイスランドのサガに似たような話があったような、と思ったのだが、自分の○論を眺め直してたら書いてあった。稚拙な文章で恥ずかしいのだが、該当部分を抜き出してみる(手抜き)。いま読み返すと引用の仕方は杜撰だし、論の進め方にも自分自身首をかしげたくなるのだが、まあこういう話もありますよ、という紹介にはなると思うので、直しは最低限に留めた。

 

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 『ニャールのサガ(Njáls saga)』〔87、88〕に、当時(980年ごろ)のノルウェーの支配者、ハーコン大公*1が有していた神殿の記述がある。この神殿はノルウェー北西部ハーロガランド(Hálogaland)のダリルにあったグズブランドダル(Gudbrandsdal)というところで営まれ、ハーコン大公の親しい友人であるグズブランド(Gudbrand)が共有していた。この神殿はフラジルにある神殿と並んでノルウェー最大の神殿であったが、公がそこに出かけてきたときにしか開かれなかった。 この神殿にはソルゲルズ=ホルタブルーズル(Þorgerðr Hölgabrúðr;ホルギの花嫁ソルゲルズ)、ソール、イルパ(Irpa)という三体の神像が祭られていた。

 ホルギ(Hölgi)はヘルゴランドの名前の由来とされている。ソルゲルスとイルパは半神の姉妹で、切願されると嵐や雹などを送ったが、後には人間に魔法の力を与えるようになったらしい。ハーコン大公は千里眼だったが、この能力は女神たちとの霊的な交わりにより得られたという*2

 フラップという男がこの神殿に放火し、三体の神像からは附属の装飾品*3を奪って外に抛り出しておいた。ハーコン大公とグズブランドが神殿がすっかり灰になり、神像が身ぐるみ剥がされて外に倒されているのを発見したとき、このような会話を交わした

(前略)「我らの神には大なる力がある。猛火から自分で逃げたのだ」とグズブランドが話しかけた。「いや神御自身でなさったのではない。誰かが放火し、神様を外に連れ出したのだ。神様はそう性急には報復なさらない。こんなことをしでかした男はヴォルホルから追放され、二度と戻れまい」と公がいった。

---植田兼義訳『ニャールのサガ』朝日出版社(1978)

 

 ソルゲルズ=ホルタブルーズルとイルパに関する記述は、Bishop Bjarni Kolberinson(1222年没)の「ヨムスボルグヴァイキング頌詩(Jómsvíkingadrápa)」〔32〕にもあり、豪華に装われた寺院で信仰されていたと述べられている。“Færeyinga saga”では、ソルギルス=ホルタブルーズルのみが言及されている。ここでは吉兆としてハーコン大公が黄金の指輪を求めたという記述がある。また、神殿にはガラスの窓が備えられていたと書かれており、興味深い。『ヨムスボルグヴァイキングのサガ(Jómsvíking saga)』では、イルパがソルゲルズ=ホルタブルーズルと同列に描かれており、『ニャールのサガ』には前述したようにソールが加えられている。

 『ホルズのサガ(Harðar saga)』〔19〕ではこの寺院はアイスランドにあったことになっているが、寺院と神の絵が焼かれたという描写は『ニャールのサガ』と同様である。

 スノッリ・ストルルソンは、『エッダ』の「詩語法」〔42〕でホルギについてこのように書いている。

(前略)the king called Hölgi、after whom Hálogaland is called、is the father

of Þorgerðr lgabrúðr. Sacrifices were made to both of themand the burial mound which was built up over Hölgi consisted of alternate layers of sacrifice money of gold and silver and layers of earth and gravel.

---Simek,Rudolf translated by Hall,Angla "Dictionary of northern mythorogy"
(Stuttgart 1984)p.326
                                                                                                     

 この王はホルギと呼ばれており、ここからハーロガランドの名前がきているのだが、彼はソルゲルズ=ホルタブルーズルの父なのだ。供犠はその双方に対してなされ、ホルギの上に築かれた墳墓は、交互になった供犠の黄金と銀の層と土と砂利の層で成っていた*4

 ここでスノッリはHölgabrúðrが明らかに「ホルギの妻」を意味するにもかかわらずホルギをソルゲルズ=ホルタブルーズルの父と述べている。他のいくつかの資料では、‘‐brúðr’を‘-troll’に置き換えている*5

 私見だが、スノッリは暗にソルゲルズ=ホルタブルーズルがホルギの娘でありなおかつ妻でもあったことを示そうとしているのではないだろうか。ヴァン神族とされるニョルズ(Njörðr))は「ユングリンガサガ」〔4〕で実の姉妹を妻にしていたという記述がある。また、彼の子供であるフレイ(Freyr)とフレイヤ(Freyja)もまた、「ロキの口論」〔32〕において、性的関係を結んでいたとされている。ニョルズはタキトゥスの『ゲルマニア』〔40〕で言及されている女神ネルトゥス(Nerthus)と同一視されることが多いのだが、菅原邦城『北欧神話』東京書籍(1979)p.180には、このような近親相姦的関係について以下のように述べられている。

(前略)このような近親相姦的な男女の一対は、性的儀式を典型とする豊穣儀礼に広く認められる。この場合、夫婦になる男女はともに神(親子あるいは兄弟、弟妹の)であるのが普通だが、その変形として男神と女性祭司あるいは女神と男性祭司であることも珍しくない。タキトゥスの女神ネルトゥスと北欧神話男神ニョルズの間の性の対立を解消する試みには、ネルトゥスが両性的神格であった、女神から男神に性を移した、報告者が男神と女神を誤り伝えた、などの考えがある。一見して最後の説に似ていて、北欧の研究者の間で今日もっとも支持されていると思われるのは、この神名は男女対を構成する、本来は男神であったろう男性祭司の名だとする説である。この説によれば、女神は「母なる大地」(ソールの母とされるヨルズが担う意味)と呼ばれていたが、タキトゥス(むしろ彼の情報提供者)がネルトゥスを大地母神の名と誤り聞いたとされる。

 祭司とその仕える神との関係ならば、「配偶者であり、子である」という観念が発生することを想定するのはそんなに突飛ではないように思える。つまり、ソルゲルズ=ホルタブルーズルも本来はホルギに仕える祭司であり、それ故にホルタブルーズルという呼び名が用いられるのではないだろうか。

 ソルゲルズ=ホルタブルーズルはハーロガランドの地方神であり、また何らかの形でハーコン大公の一族に関係しており、そしてこの女神に関する記述はつねにハーコン大公と結びついている。

 

 また、ソルゲルズという名前は女巨人のゲルズ(Gerðr*6)から来ているとも考えられる。これは、ソルゲルズ=ホルタブルーズルがトロル(trol)すなわち巨人であるとも表現されるためであるが、パウルソンによると、巨人を示す古ノルド語の単語は全てサーメ人をもあらわしうるのである*7。ハーロガランドは地理的にもサーメ人の文化圏に近い。

 

 イルパは、語源学的には‘jarþr(深茶色)’から来ていると考えられ、地下の女神とされるSchröderとの関係も考えられているが、確証は得られていないようだ。

 

 ソルゲルズ=ホルタブルーズルに関しては、『ヨムスボルグヴァイキングのサガ』〔32〕‐〔33〕にも興味深い記述が見られる。

 デンマークから遠征してきたヨムスボルグヴァイキングとの戦いに苦戦したハーコン大公は、ブリムシグド島という島に上陸し、森に入って跪き、北に向かうと、祈りを捧げた。その祈りは守護神のソルゲルス=ホルタブルーズルに対するものだった。だが、この女神は立腹しており、沢山の犠牲を捧げても次に人間の犠牲を差し出そうとしても受け取ろうとはしなかったが、ハーコン大公が最後にエルリングルという7歳になるわが子を犠牲に差し出すと女神はついにこれを受けいれた。

 その後ハーコン大公が、

(前略)

「わしは今、勝利はわれらのものであることが確かだと知った。さあ、勇んで前進せよ、わしは、お二方の女神ソルゲルズルとイルパにわれらの勝利を祈願したのだから」〔33〕

---谷口幸男訳「ヨムスボルグヴァイキングのサガ」『形成』第23号(1)、第24号(2) 新ふんど会(1964,1965)

 といって戦闘を再開すると、すぐに北の空から厚い雲が広がって全天をおおい、それに稲妻と雷鳴、おびただしい雹が続いた。

 千里眼をそなえたものたちは、ハーコン大公の軍勢の中にソルゲルズがいるのを目撃した。彼らはこの魔女の指の一本一本から矢が飛び出し、どれもが当たるのを見た。

 雹の嵐がいくらかおさまると、ハーコン大公は再びソルゲルズを呼び出して、犠牲を惜しまなかったことを思い出させた。すると雹の嵐は前よりもなお吹き荒れた。ヨムスボルグヴァイキング方の<殺し屋>ハルヴァルズという男は、おそらくはソルゲルズとイルパなのだろう、ふたりの女が大公の船に来て、前にソルゲルズがやったのと同じ仕事を行っているのを見た。

 このような記述は容易に戦いに介入する存在としてのディースやヴァルキュリャを思い起こさせる上に、犠牲を捧げるしかたなど、ほかの存在に関する記述では明快にされていない部分が描かれている点でも興味深い。

 

 この半神の姉妹に関する記述は、多くの点でディースへの信仰と似通っている。

 

 まず、ハーコン大公個人によって祭られていたこと。このことは明言されてはいないが、公がそこに出かけてきたときにしか開かれなかった、という表現からもおそらく間違いないだろう。このことは、ウップランドのÓle王とディースとの特別なつながりを思い起こさせる。

 

 次に、元々は人間であったという記述。この記述は非常に興味深いものであるように思われる。北欧神話の神々は、スノッリの『エッダ』と『ヘイムスクリングラ』においては、実際の歴史上の人物であったとされている。これはサクソ・グラマティスの『デンマーク人の事跡』においても同様である。これらの記述については、神話のエウヘメリズム的解釈によるものであるとの見方が強いが、私は北欧の神々が信仰されていた当時の観念を一半なりとも伝えている可能性があると思う。

 例えば、「ユングリンガサガ」の中で、スウェーデンの伝説的な王、ユングヴィ(Yngvi)はフレイの別名であることになっているが、ノルウェーに最初の統一王権を打ち建てたハラルド美髪王(Haraldr hárfagri;860?‐960?)は、彼についてうたった文献では全てユングヴィの血統に連ねてうたわれている。フレイとユングヴィの結びつきはスノッリの創作である可能性もあるが、多くの同種の例*8があることからも、むしろキリスト教以前からの観念を伝えていると考えるほうが無理のないように思える。

 この観念をディースや姉妹の半神に結びつけて考えると、祖霊や超越的な能力を持った人物の神格化という要素だけでなく、個人や一族の護り手としての特徴が、北欧の神々全体にも敷衍できるものであることに気づく。これは当時の北欧の世界観全体を解き明かす上でのキーワードになり得ると考えられる。

 

 三つめはヴァルホルに関する言及があることだが、この記事だけをもって姉妹の半神がヴァルキュリャのような機能までも持ち合わせていたとするのは性急すぎるだろうが、少なくとも留意はしておくべきだろう。この姉妹の半神は、ヴァルキュリャやディースを初めとした類似の存在に対する概念の、発達初期段階の相似形を示している可能性があるように思われる。

 

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*1:Hákon Jarl inn ríki;995年没。キリスト教徒だったハーコン善王;Hákon góðiをスウェーデン王とデンマーク王の後押しで倒し、ノルウェーの支配者となった

*2:J.グリム、『ドイツ神話学』Ⅰ、p.530。植田兼義訳『ニャールのサガ』朝日出版社(1978)、p.354より孫引き。

*3:

ソルゲルス=ホルタブルーズルの像は等身大で、大きな金の腕輪をして頭巾を被っていた。ソールには黄金の腕輪のほかに車が付随しており、イルパも腕輪をしていた。

*4:谷口幸男「スノリ「エッダ」『詩語法』訳注」 『広島大学文学部紀要特輯号』広島大学文学部(1983
)には見当たらない一文なのだが、改めて原典にあたる気力がないのでとりあえず書いた当時のままSimekを引用元にしておく。

*5:接頭辞‘Hölga‐’を‘Hörð‐’、‘Hölga-’、‘Hölda-’としている版もある

*6:ゲルズは「スキールニルのことば」でフレイが恋に落ち従者のスキールニルに求婚しにいかせる女巨人。

*7:「巫女の予言」〔2〕には、

わたしは覚えている、はるかな時の
はじめに生まれた巨人たち(jötnar)を、
そのかみわたしを
はぐくみ育てた者たちを。
---ノルダル,シーグルズル編 菅原邦城訳『巫女の予言:エッダ詩校訂本』 東海大学出版会(1993)

という下りがある。
 従来この1節は、ヴォルヴァを育てたのは神話的な巨人たち(jötnar;単数形jötunn)であると解釈されてきた。だが、パウルソンは、「巨人たち」をあらわす‘jötnar’、‘tröll’、‘risar’などの言葉は同時に民族的意味の「サーメ人」をあらわす両義性を持つことを指摘し、ヴォルヴァを養育し、セイズのような魔術を教えたのはサーメ人の呪術師たちであるとしている。

 同時に、これまでの翻訳では「半巨人」と訳されることが多かった『矢のオッドのサガ』、『ヴァトン谷住民のサガ(Vatnsdœla saga)』「ハラルド美髪王のサガ」『エギルのサガ』などにあらわれる‘hálf-troll’、‘hálf-bergrisi’という語がノルウェー人とラップ人との間の混血の人々を指していることも指摘している。
 また、初期アイスランド語資料では、サーメ人は一般的には「フィン人(Finnar)」と呼ばれている(この語は同時に本来のフィン人を指す語でもあった)。(パウルソン,ヘルマン 大塚明子・西田郁子・水野知昭・菅原邦城訳 『オージンのいる風景:オージン教とエッダ』 東海大学出版会(1995)

*8: スノッリはオージンをトロヤ(あるいはテュルクランド;小アジアのことだと思われる)出身のア―スと呼ばれる一族の王であるとしている(『エッダ』「序」、「ユングリンガサガ」)。

 オージンに率いられたア―スは北部ドイツ、レイズゴタランド(後のヨータランド;現在のユーラン半島)、スヴィーショーズ(スウェーデン中部)を経て、ノルウェーに移住する。オージンは各地で息子たちを王に立てるが、ブリテン島初期の史料(8世紀の教会史家ベーダの『英国教会国民史』や、およそ前1世紀‐後12世紀を扱う『アングロ‐サクソン年代記』など)でウォーデンなる人物を祖として書き出されているアングル人あるいはサクソン人の系図とほぼ同一のヴェッグデッグとべルデッグの家系や、ハーコン大公が自分の男系の祖先と見なしたノルウェーを与えられたセーミング(オージンとスカジの息子とされる)などの名前が見出される。詳しくは菅原、北欧神話、pp.126-130参照。

 しかし、スノッリ・ストルルソンは、『エッダ』の「詩語法」〔79〕の中ではこれらの氏族はハールヴダン老王から出ていると述べている。ハールヴダン老王は

すべての王のうちもっともすぐれている王でハルヴダン老王という王がいた。王は真冬に一大犠牲祭をおこない、王位にあって三百年生きられるように生贄を捧げた。そしてその答として、彼は人間の長寿以上は生きられないだろう、しかし、もしも彼の一族の男でも女でも王侯の称号をもつことがないならば、寿命は三百年続くだろう、ときいた。(後略)

---谷口訳

 ハールヴダン老王はホールムガルズ(ノヴゴロド)の王女、賢女アルヴィングを后とし、9組の双子の息子たちをもうけたがすべて戦死し、ほかの9人の息子たちがユングリング族やヴォルスング族などのゲルマンの諸王家が発したとされる。

 この記述は明らかに「ユングリンガサガ」の記述と矛盾し、私はこれに類した記述を知らないが、供犠を捧げて300年の寿命を得たというものに類した記述は「ユングリンガサガ」に出てくる。

 すなわちスウェーデンの60歳の老王アウンが、盛大な供犠を催してオージンに9人のわが子を次々に生贄に捧げ、初めは60年、次からはひとりにつき10年ずつ寿命をのばしたという話である。アウン王は10人目の最後の子を生贄に捧げるのをスウェーデンの民の反対にあってやめさせられたために、ついには老衰で死ぬ。

 私見だが、ハールヴダン老王とオージンは、どちらかがどちらかを雛型にしている可能性があると思われる。無論それはオージン(あるいはハールヴダン老王)が民族大移動期の王であったという見方がスノッリの創作でないと仮定しての話だが。

 だが、ハールヴダン老王がアウンと同様にオージンに生贄を捧げたとすれば、オージンとハールヴダン老王は別々に存在していたことになり、矛盾するではないかと反論されるかも知れない。たしかに、ハールヴダン老王は息子たちを生贄にしたとは語られていないが、一族のものを自分以外誰も王侯の地位につかせないようにすること自体、ある意図を働かせなければ不可能なことである(ヴァイキング時代の話だが、当時はヴァイキング行のために海に出れば、それだけで、王の一族ならば誰でも王と名乗ることになっていた。(「オーラヴ聖王のサガ」〔4〕参照)ヴァイキング時代以前も、ゲルマンの習慣として遠征に出てそこを征服すれば、王族ならば王を名乗ることは普通であったと思われる)。そして戦死した英雄たちがオージンに対する最もふさわしい贈り物であったろうことは、本論の主題であるヴァルキュリャの役割を思い起こしていただければ想像に難くないと思う。

 18人の息子を生贄に捧げて230年の延命を得たとすれば、ハールヴダンが供犠祭を開いたのもアウンと同じ60歳のときならば、約300歳まで生きたことになる。

だが、一方でオージンが自らにわれとわが身を生贄として捧げたことを思い起こせば、オージン(あるいはハールヴダン老王)が自らに対して息子たちを捧げたという伝承があったとしてもおかしくないように思われる。

 「高きもののことば」〔138〕で、自分が如何にしてルーンを獲得したかについて、オージンはこのように語っている。          

私は知っている、私が

99夜にわたって

風吹きすさぶ樹につりさがり

槍に傷つき、私自身が

オージン、つまり私自身に

私をいけにえとして、

それがいかなる根から発しているか知るひともない

樹につりさがっていたことを。

---菅原訳、『北欧神話

 絞首刑になった死体はさまざまな秘密を語るということが信じられており、「高きもののことば」はオージンがこの世に生きるための知識を披露する内容であるため、私見だが、オージンは自らをモデルにしてさまざまな秘密を刑死者から得るための知識を語っているのではないかと思われる。なぜなら、「いかなる根から発しているか知るひともない」樹とは世界の中心にあるユッグドラシルをあらわしていると考えられるが、ユッグドラシルはしばしば絞首刑台をもあらわしえたからである。また、オージンの別名のひとつに「絞首刑者の神」を意味する「ハンガグズ(Hangaguð)」がある。