※ネタバレあり ク・ビョンモ著 小山内園子訳「四隣人の食卓」(書肆侃侃房 2019)感想

チョン・ウノの「(前略)誰かに優しくされる感覚、純粋に自分のためにお金を使う喜び、完全に自分専用のものとして提供される何かが、日々の生活にどれほどの活力や変化をもたらしてくれるものか、カン・ギョウォンはもっと頻繁に体験しなくてはならない。(後略)」(p146)という思いと、シン・ジェガンがソ・ヨジンに〈優しく〉しようとする動機は、同じものなのではないか。シン・ジェガンの内面描写が一切ないのは、既婚男の〈他人妻〉へのこうした奇妙な〈思いやり〉を、〈かける〉側と、〈かけられてしまう〉側の両面から描くため敢えてではないだろうか。
実際、僕はウノの思いには共感してしまうところがあるし、そういう気持ちは自分の妻に向ければいいではないかという正論も、〈財布〉を同じくする夫婦であれば、妻の目には男の驕りと身勝手としてしか映らず、素直に喜んでもらえないからこそ〈人妻〉にしかその優しさを向けられない、という気持ちもわかってしまう。
こうした思いの〈スワップ〉がこの物語のひとつの隠れたテーマなのではないか。
映画「おとなの事情」に似ているが、「四隣人の食卓」は徹底して男に都合のいいような女性の心の動きを廃しているように思える。他にも似てる映画があった気がするけど思い出せない。
ウノが使ったクレカの通知がヨジンに即行く描写に、非現金化した韓国の現在社会が見える気がして興味深かった。