轟音の意味が違わないか?

さっき地元の子達のアマチュアバンドのライヴに行ってきました。もう耳が難聴寸前です。鼓膜がところどころ破れているのかなんかすうすう隙間風が入ってくる気がします。
しかし何ですかね。学生時代からそんなに学生バンドのライヴを見てきたわけじゃないんですが、大学の軽音部所属、って感じの彼らはどうも皆一様に演奏が好きなのであって、ポップミュージックとしてのロックを愛している訳ではないような気がして仕方ありません。
まあ実際、表現力が発展途上、ということもあるのでしょうが、どうも安易な道に走っている気がしてならんのですよ。特にヴォーカル、ひねりがなさすぎ。
下手なのは承知でも、もっと色んな表現方法に挑戦したらどうでしょう。今日、4バンドくらい出てましたが、一組もミドルテンポの曲もなければバラードもなし、一本調子の轟音ロック。
君たちが轟音が好きなのはわかります。しかし、もっと勉強してメリハリをつけてはどうなんでしょう。PAの腕の問題もあるっちゃああるんですが。ひとの耳を潰すのが凄いのではなく、静けさと激しさのコンストラストが血を沸き立たせるのだということを、ニルヴァーナ辺りに学んで下さい。
こんなブログに関係者の方はまさか迷い込んでは来られないと思うのですが、フォローすべきところはしておきます。このライヴは知り合いの方の息子さんがギターを担当してるバンドがメインということで誘っていただいたのですが、息子さんのギターはファンキーで凄く良かったです。元ストリートスライダーズの土屋<蘭丸>公平さんっぽいダンサブルなノリで、いいお子さんをお持ちですねえ、って感じです。きっとちっちゃい頃から色んな音楽を聴いてきてリズムが身体に染み込んでるんでしょうね。羨ましい。ただ、他のメンバーが彼の解釈を理解してないようなところもありましたので勿体無いですね。

今日のBGM

甲斐バンド『英雄と悪漢』

この項ではあんまり偏ったチョイスはしたくないのですが、日本のロックを論じる上ではこのアルバムを外す訳にはいきません。甲斐よしひろが所属していた甲斐バンドの2ndアルバム、1975年の作品です。彼らの才気が惜しげなく溢れ出したアルバムで、全ての曲が完全に練られた曲想によって輝きを放っています。甲斐よしひろの映画的な情感が見事に日本語ロックとして昇華されており、構成美の素晴らしさも、現在の視点から見ても模範とすべきものでしょう。ロックというジャンルに囚われるのではなく、自分の方法論を確立することがロックなのです。