私と甲斐よしひろ

 何だか作文のような題名ですが、内容も似たようなものですw。

 僕と甲斐よしひろの音楽との関係は結構長い(筋金入りの人に比べればまだまだだろうかw)。音楽をきちんと聴き始めた初めが彼の音楽からだった。
 
 高校に入学したての頃、萩尾望都の漫画に嵌り始めていた僕が、ブ○クオフでかの女の作品で未読のものがないか探していたとき、たまたまそこにあったのが『完全犯罪-フェアリー』という作品だった。

 その作品は甲斐バンドというバンドの歌詞を作品中にちりばめた、<ロック・ミージカル>と銘打たれたものであった。

 今思えば、80年代後半以降、萩尾望都が取り組んでいたバレエ漫画シリーズなどと同様、漫画と演劇やミュージカル、バレエなどとのミクスチャーを目指した試みの中のひとつに位置付けられる作品だったのだと思うが、その当時の僕にはまったく面白いとは思えず、同時に購入した『残酷な神が支配する』とともに、『メッシュ』や『トーマの心臓』の頃の繊細さはどこにいったのかと、戸惑ったような記憶がある。

 それでも、作中で用いられている音楽はどんな音楽なのだろうと気になり、わけがわからないながらも、CDショップで、タイトルで甲斐バンドアルバム『ガラスの動物園』に決めて買ってみた(その時迷ったのが『英雄と悪漢』だが、その当時の自分の感性では美しいタイトルとは思えなかった。当然、The Beach Boysの有名曲の邦訳とも知らなかった)。

 当時はたまたま甲斐よしひろがKAIFIVEで活動して、「風の中の火のように」の中ヒットを飛ばしてから間がなく、その影響もあってか甲斐バンドの旧譜が丁度再発された始めていた頃なのだと思うが、僕はKAIFIVEの存在など知らず、本当にまったく無知の状態から甲斐よしひろの音楽に接したのだった。そのタイミングでなければ田舎の本屋に併設されてるような小さなCDショップに甲斐バンドのCDなど置いてあったかわからないし、そこで少し探してみて見つからなければ僕はそこでまあいいや、とそれっきり忘れてしまったかも知れない。
 
 その手に入れたアルバムを一聴して、その衝撃に打ちのめされた、という展開なら格好いいのだが、実際には聴いてすぐには全くピンと来ず、それでも何回か聴く中に「らせん階段」と、「テレフォンノイローゼ」という曲はなかなかいい曲だと思うようになり、もう少し聴いてみようと、ライヴ盤の『100万$ナイト』と、KAIFIVEのアルバム『嵐の明日』を買ってみた。

 それらのアルバムもすぐにはしっくり来なかったものの、それでもKAIFIVEはその直近のアルバムだったこともあり、結構早く気に入るようになった。夏頃だったと思う。

 その頃は甲斐よしひろが一体どういった活動の軌跡を辿って来ているのかも知らず、少し後のことになるがKAIFIVEの多奈加裕干(ヤッチ)というのは甲斐バンドの田中一郎の変名ではないかと結構真面目に考えたことを思い出す。『嵐の明日』のアルバムにしても、ヤッチと甲斐よしひろの声の違いさえもちゃんと聴き分けられず、ふたりのツインボーカル曲「落下する月」を甲斐ひとりによるヴォーカルと勘違いして、随分色んな声が出せるんだなあ、と感心した覚えもある^^;。ウブというよりバカなのだ。

 はじめは歌詞が結構好みだったのか、よく覚えていないが、それでも徐々に嵌ったらしく、『英雄と悪漢』、『地下室のメロディー』、甲斐よしひろソロの『ストレート・ライフ』と買い揃えていき、晩夏には近所の個人経営のCDショップでわざわざVHSの解散コンサートライヴ、『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』を手に入れたのを覚えている。その映像で甲斐よしひろが格好いいなあ、と思ったのがおそらく本格的にファンになりはじめだっただろう、晩秋ころには『甲斐バンド12年戦争』や『THE BIG GIG』、甲斐よしひろの『NIGHT TRIPPER』といったライヴヴィデオをそこで取り寄せ、春ごろ漫画の『完全犯罪』を手にとってから一年も経たない翌年の正月には、天神(僕の居住地福岡の中心都市)を甲斐よしひろ関係のCDを求めてショップ巡りするまでになっていた。

 実はKAIFIVEが活動休止しており、甲斐よしひろが再びソロで活動し出したと知ったのはその頃だったと思う。ライヴを見たいと思って調べてわかったのだ。ソロツアーに行きたかったものの、東名阪限定で、惜しいと思いながらも諦めざるを得なかった。それでも初めてのリアルタイムでリリーズされたアルバム、『太陽は死んじゃいない』を手に入れた僕は、その中に見つけたファンクラブ募集の字に、一も二もなく入会し、高校三年間を<甲斐信者>として過ごすこととなった。

 今思い出してみると、随分行動力があるなあ、と自分ながら感心する。高校時代は筒井康隆スティーヴン・キング萩尾望都と、他にも特定の作家にどっぷり嵌った時期だったが、丁度いろんなものを貪欲に受け入れる時期だったのだろう。そんな多感な時期にこのような偏った作家たちばかりに目を向けていたというのは勿体ない気もするが、そういう時期だからこそ一人の作家の多彩な側面を受け入れられたのだとも思う。
 

 甲斐よしひろの音楽に関しては、たまたま最初期に聴いた作品群に自分の好みに近いものが多かったのは幸運だったと思う。『ガラスの動物園』、『嵐の明日』、『ストレート・ライフ』、ヴィデオの『NIGHT TRIPPER』といった作品は、今でも甲斐よしひろのベストの部類に入るアルバム群だと思う。だが、正直「翼あるもの」や「嵐の季節」といった曲が入った『誘惑』や、「三つ数えろ」、「100万$ナイト」などのある『マイジェネレーション』、「漂泊者-アウトロー」などの入った『地下室のメロディー』といった、ライヴでの定番曲が入った全盛期とされる頃のアルバム群がもし聴き始めだったら、嵌ることなく終わっていたかも知れない。その頃僕の嗜好は異常に狭い上に青臭く、ストレートな歌謡ロックやひねりの利いたブラック・ミュージック風のこれらのアルバムが気に入っていたとは思えない。それに、これらの曲はライヴでは輝く曲だがアルバムヴァージョンは(当時の僕の感覚では)ライヴの勢いが感じられず、良さがわからなかっただろう。


 親に隠れてライヴに行き始めた頃、16、7の本当のガキで、21,2で『英雄と悪漢』や『ガラスの動物園』をつくった甲斐よしひろとバンドを仰ぎ見ていた僕も、今ではその当時の彼らより年上になってしまった。

 僕の高校卒業に合わせるように甲斐よしひろはアルバム製作の面では不遇の時代に入っていき、小室哲哉との共同作業の商業的失敗と共に長い空白期間があった。僕も徐々に彼の音楽を聴くことが少なくなり、ファンクラブの会員証も失効してしまった。

 2,3年ライヴにも行かなくなっていたが、たまたま大学から福岡に戻っていた頃に出た甲斐バンドのアルバム『夏の轍』に伴うツアーからまたライヴに行くようになり、その後甲斐バンドの名物ギタリスト大森信和が逝ってしまうなど、悲しい出来事もあったものの、甲斐よしひろも相変わらずアルバムセールスでは全く揮わないものの、最近のライヴではすごくいい状態になってきているようだ。僕は甲斐よしひろの音楽と、もう10年以上の一方的な<腐れ縁>になってしまった。

 様々な歌声の中からこれだ、と選んだ訳ではなく、偶然に近い出会いだったけれど、今でも僕には甲斐よしひろの声、作品に匹敵するような感銘を受けるアーティストを見つけられていないし、トータルとして追いかけたくなる存在は日本ではかれだけだ。50を過ぎた甲斐よしひろがいつまで唄い続けられるかはわからない。作曲能力も、もうかつてのような天才的なところは見られなくなってしまったような感もある。それでも、僕はライヴでの彼の姿を見て、まだまだ素晴らしい曲、アルバムを届けてくれるのではないかと期待し続けているのです。



本日のBGM

The Rolling Stones "Stripped"

 丁度僕が甲斐よしひろに嵌りだした頃に出たローリングストーンズのアンプラグド・セルフカヴァー・アルバム。

 その当時はアンプラグドブームで、色んなアーティストのこういった趣向のアルバムが出ていたが、その頃洋楽など全く知らなかった僕がどうしてこのアルバムを買う気になったのかわからない。丁度同時期にストーンズのファーストベストも買ったようなので、多分甲斐よしひろに嵌りはじめで、他の音楽も聴いてみようと色気を出して安直に名前位は知っていたストーンズに手を出したのだろう。

 ストーンズ自体には、何枚かアルバムを買ったがそんなにピンと来なかったものの、わかりやすい(その頃はそう思っていた)このアルバムは結構高校時代愛聴し、KAIFIVEの曲に、歌詞が'Wild Hoses'とそっくりなのがあるのを見つけてひとりその発見に喜んだりしていた。
 
 その後一時的に復活した甲斐バンドが出したセルフカヴァーアンプラグドアルバム『ビッグ・ナイト』のコンセプトがこのアルバムを多分に意識したもので、なんだかマニアックな共犯意識を感じて嬉しかったのを覚えている。