眠れる運命

 運命とは怖いものだ。

 例えば、電車の中で向かいに座る女性と目が会って、何気なしに微笑みを交わしたとする。

 たったそれだけのことから発展して、僕はかの女と結婚するかも知れないし、ずぶりと包丁で刺されてくたばるかも知れない。

 僕たちの周りには、眠れる運命がそこかしこに居て、尻尾を踏んだら将来が一転することだっていくらでも<あり得る>のだ。

 勿論、そんなことが気にならない(あるいは気が回らない)程なにもかもに餓えているときだってある。大抵の大人が後になってその時の向こう見ずを後悔する類のことだ。

 だが、ほとんどの場合、ひとは常に待ち受ける運命の成り行きをあれやこれやと思い浮かべ、尻込みしながら一方では好奇心と期待を滲ませながら、大抵の眠れる獣をやり過ごしながら歩き、思い切ってついうっかりの振りをして踏んづけてみたとしても期待が空回りして拍子抜けするのが落ちだ。

 待ち受けるのがいい運命か、悪い運命か、その別に関わらず、僕らは切り立った絶壁を前に立ちすくむ牧童と同じだ。扉を開ければ巨人の食卓の上に自分が乗っているかも知れない。それとも、きれいなお姫様が口づけを待っているのかも。

 どんなに偉いひとでも、選んだ運命を選り好みすることはできない。ただ、選ぶことだけが委ねられている。選んだ結果が吉か、凶か、それは聖人だろうが悪人だろうが区別なくどちらかが平等に割り当てられる。

 「人生を選べ」、「人生を選択しろ」・・・呪文のように追ってくる声に、一体何人のひとが自らの正気を信じたままでいられる?

 それが世界なのだ。