社会ニュース『イスラムは「邪悪」と発言=ローマ法王発言に怒り広がる』

イスラムは「邪悪」と発言=ローマ法王発言に怒り広がる

 【ニューデリー15日時事】ローマ法王ベネディクト16世が、イスラム教が本質的に暴力を容認する宗教であるかのような発言をし、イスラム諸国から怒りの声が相次いでいる。2001年9月の米同時テロ以来、欧米の一部にはイスラムの教義そのものに暴力の原因を求める議論があり、イスラム教徒の神経を逆なでしてきた。パキスタン議会は15日、法王に発言の撤回を求める非難決議を全会一致で採択した。
 ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘。その上で、イスラムの教えるジハード(聖戦)の概念を批判した。
 
時事通信) - 9月15日19時2分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060915-00000114-jij-int より

 ちょっっっ、おまっっ、オイオイ、って感じですね。

 じゃあ十字軍は何だったんでしょう?第一回十字軍当時、エルサレム占領に際して市民を虐殺した十字軍に対し、イスラム側のサラディンエルサレムを奪回した際身代金をとっただけで命は助けています。近年の憎しみの連鎖だって、そもそもはイスラエル建国に際してアメリカがその強行に介入したことなど、僕の知る限り、西側、キリスト教側が発端の例ばかりです(ごく表面的に見ても、ですが)。

 キリスト教の全く相手を寄せ付けない不寛容さがどれほど多くの敵をつくり出しているのか、かれら自身は気づいていないのか、それとももっと悪いことに意識的にやっているのか。

 ある決して疑念を持ってはいけない部分があって、それを前提にしてすべての論理が構成される宗教というパワーは、やはりどんなに素晴らしい人が従事していても根本的に受容できないです。どこに神があるのか(ないのか)は、各個人が生涯を通じて既成の用意された様式に頼らずに追求すべきものではないでしょうか。

9月18日追記

東奥日報「ニュース百科」(9月17日更新)に発言のより詳しい内容が掲載されていました。

ローマ法王の発言

 ローマ法王ベネディクト16世が9月12日、ドイツのレーゲンスブルクで講演し「(イスラム教の預言者ムハンマドが新しくもたらしたものは何かといえば、彼が説いた真理を剣で広めよという命令のような、邪悪さと残酷さだけだ」と、イスラム教の「ジハード(聖戦)」に言及したビザンチン帝国皇帝の発言を引用。暴力が神や人間精神の本質とは相いれないと説いた。イスラム世界で抗議行動が相次ぎ、ローマ法王庁は16日声明を発表、法王が「極めて遺憾に思っている」ことを明らかにした。(共同)


http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2006/0917_8.html