ゾンビの解剖学

ゾンビが好きだ。

必ずしもゾンビ映画が、ということではない。面白いシチュエーションのゾンビムービーはエログロ扱いされて予算が取れず、どうしてもB級で低予算映画になりやすい。勢い、<映画としては>目も当てられない出来になりがちで(ネタとしてはOKな場合も多いがw)、逆に予算が取れる企画ではゾンビ映画らしさがスポイルされてしまう。結局のところ、これまでに満足できる出来のゾンビムービーというのは存在しない、というのが僕の感触だ。

僕の興味があるのは、むしろゾンビという存在とそれにまつわるイメージそのものについてだ。

シチュエーションとして考えたとき、ここまで発展性のないモンスターも他にはない。何故かある日死者が起き上がり、よたよたと歩き出す。こいつらに噛まれたりした人間は何らかのウィルスに感染し、やがて死者の群れの仲間入りをする。やがて地上はゾンビだらけになり、人間社会は崩壊し、生きている人間は殆どいなくなる・・・・。

ロメロ(George A. Romero)のエポック・メイキングとされる『ゾンビ(Dawn of the Dead)』(1978)の荒筋とほぼ同様だが、ゾンビムービーというのは変り種はあるものの、大抵は似たような展開を見せる。何故か。そのシチュエーションが一番盛り上るからだ。ゾンビが一体しか出てこず、5、6人の人間を追い回す映画もあるが、やはりカタルシスに欠ける。状況が悪化する大勢のゾンビに追われるようになる少数の生きた人間たち。<増え鬼>のようなスリル感がゾンビ映画の肝のひとつだろう。

これから何回か、思いつくに任せて、何となくアンニュイな秋にぴったりの?よれよれとしたゾンビたちの魅力についてシリーズで書きついでいってみようと思いますw。