うまく生きていくのは相変わらず下手だけど♪

 NHK大河ドラマの『功名が辻』が人気のようで・・・・・・。僕もたまにつき合いで観ることがあります。というかもう何年も日本のドラマなんて自発的に観たことない(大昔、『整形美人』を途中まで観たくらい。「アシンメトリー」いい曲でしたw。)。

 仲間由紀恵は今やあらゆる世代に萌ゆらるるアイドルですな。宮崎あおいといい、彼女たちだけを輝かせ、支持層拡大につなげる<国民的萌えドラマ>を用意するNHKはある意味偉大です。そんなことに手腕発揮してる暇があったらもっと他のことに力を入れろよ!って気もしますがw。

 しかし、司馬遼太郎の小説って主人公がそういう風に描かれることが結構多い気がしますが、山内一豊があっけらかんと計算高い。やってることは結構情けないのに、自己演出で良さそうに見せちゃう。テーマが立身出世だからいいんでしょうが、こういう自分のやってることに根本的に迷いや疑いのない、心に闇のないひとって苦手なんですよね。話が通じなさそう・・・・・・・。

 司馬遼太郎はあんまり人間を偶像的に描かない人ですから、信長や秀吉もまあ俗物で、判断ミスから身を滅ぼす、あるいは騒動の種を蒔くわけです。それはいいんですけど、そうすると一番最後まで残った人が一番賢い、正しい、ということになってしまう。その見方もちょっと一面的で詰らないなぁ、と思う。

 今丁度ドラマは関が原の戦いに入るところなんですが、大名どもが挙って強いものに付和雷同する姿がどうつくろって描いても情けない気がするわけです。司馬遼太郎原作ということを考えれば、大和魂、武士道、サムライの美学などとかっこつけても、本当の武士というのはもっと現実的に物事に対することができるしたたかな柔軟さをもっていたのだよ、と軍国主義へのアンチテーゼを示そうとしているようにも取れる気もしますが、僕は逆に日本人が雪崩をうって多数につくことを良しとし、少数派であることを過度に不安がるような心性でさえなかったら、あんなアホな戦争はせんかったのではないかとも思えるのです。

 そういう盲目な状況適応的自己保存本能に向かいたくなる衝動をある程度制御できるような美学、オノレの中で正しいものと正しくないものの基準を持ったわが道を<持つ>ひとがやっぱり僕は好きだなぁ。付き合いにくいけどさw。