おわび(ていせいはまだ・・・・)コメントの続き②

「おわび(ていせいはまだ・・・)」(http://blogs.yahoo.co.jp/liki1978/42081817.html)および「おわび(ていせいはまだ・・・・)コメントの続き」(http://blogs.yahoo.co.jp/liki1978/42966921.html
 にお寄せいただいたコメントへのお返事です。
 
 コメント欄に書いていくのは大変なので、ブログ主特権ということで(^^;、記事の形で投稿させていただきます。

 例によって、読まれる場合は以下の空白行をすべて範囲選択してください。




「誰も断定できない事を述べる時、「思います」をよく使ってしまうのですが…なるほど、それでは感情論になってしまいます。」
 (「議論の仕方」様の定義するところの)議論はいかなる場合も不確定要素を含みますので、「思います」、「考えます」といった推論が一切排除される訳ではありません。
 僕が指摘したのはjcfさんが「ある種の原発反対運動は宗教である(ように思える)」「トーレや無宗教家さんは特定の政治的主張を代弁している(ように思う)が、jcfさんは違う」といった主観的意見を、あたかも客観的事実のように主張されること、多くの場合、原発議論における断定的見解に論拠を示されなかったことです(僕がしつこくお尋ねしてしまった分についてはお答えいただきましたので、この部分の疑問は今は一部は消失しましたが)。
 そしてなにより、この部分を強調したいのですが、jcfさんも
「ある所で再処理反対運動のやり方を批判したら、「あなたの為の運動ですよ」と言われました。冗談じゃない、頼んだおぼえなど有りません。」
とおっしゃっているように、推論の中でも、自ら説明可能な他者の意見を勝手に推測して決め付けることは避けるべきことです。説明能力を持つ人間は、自らの意思、主張、意見、感情を表明する権利、義務を有します。引用が長くなりますが、やりとりのはじめから

「またつい最近も、ある方のブログで、突然、私や他の批判コメントが削除され、出入り禁止にされました。根は善良な方々ですから、自分の行いに心を痛めておられるでしょう。」

「 反対でも、「人工放射能の放出はゼロでなければならない」と頑として譲らない人たちがいます。「極微量でも危険でなければならない」理由を作るためにありとあらゆる可能性を見つけてきては、批判意見には一切耳をかさず、マスコミ報道も弾圧されていると主張し、自分に都合がいいことしか信じません。」

「自分のやっている事が正義…そのためには捏造も歪曲も許される…宗教、ですよね。」

「生理的に受け入れられないものは<No>…おっしゃる通りですね。「原発に理解を」と、一般の人に
いくら知識を提供したところで、功を奏さないワケです。反対派の人も、正直にそう言ってくれたら…無理に理論武装しようとするから、歪むのですね」

「誰でも近くに原発ができたら嫌…生理的に受け入れられない人は、青森にもたくさんいるでしょうし、実際に、最初は激しい反対運動が起きました。沈黙に変わったのは、関東の消費者団体が不買運動を始めてからです。感覚的な拒絶感に打ち勝てるものがあるとすれば、それはやはり感覚的な事…「怒り」だけかもしれません。それでも不快感は残るでしょうが、じっと堪えてくれているのは、日本のため、私たちのためでしょう。「富を守りたい」などと…そんな失礼なことが平気で言える反対派の常識を疑います。」

風力発電は、いまだに「シンボリックな価値で十分」として商売道具にしている人たちに踏みにじられていますが、本気で、愛情を込めて管理している人の元では、きちんと機能していますね。」

「トーレ様。お互いに、後味の悪い終わり方になる事をとても残念に思います。期せずして、お二方の政治的な思想背景を伺えて、たいへんためになりました。」

「『事実を見る前から結論を決めてはいけない』は理系の常識で、最初に結論を決めディベートで勝負をつけるのをお得意とされる文系の方とは相容れないのかもしれません。」

 と、僕に対するものも含めて、jcfさんの主観による他者の意識の推論が非常に多いのです。一部の反対派の意見や、施設所在地住民の意見の実態は知りませんが、それにしてもこういった微妙な問題にこそ、引き合いに出すのならきちんとした裏付けのあるソースが必要だと思いますし、何度もお願いしましたように、決め付けは止めていただきたいのです。jcfさんがある人の行動にあれこれ感想を持つことは自由ですが、あたかもjcfさんの感想が僕や他の方々の意見を代弁しているような書き方は止めてください。
 前にも書いたように、僕はいかなる既存の政治団体の主張も代弁している積りはありませんし、意見が政治的意味合いを持つことは認めますが、それはこういった問題では避けて通れないことです。jcfさんのご意見は、社会変革を伴えば政治的主張で、そうでなければ違う、ということでしょうか?しかし、選挙権を持つ政体では、沈黙も政治的行動、賛成も政治的行動で、誰も政治的人間であることからは逃れられません。別にjcfさんが政府擁護の保守系鷹派だ!などと決め付ける気はありませんが(きちんとご自身で自民党には絶対入れない、と述べられていますしね)、jcfさんの主張も社会の行方を論ずるある種の政治的主張であることは確かな筈です。
 最大の誤解について。

「<リスクを認めた上で、受け入れられる>という感覚もあることをご理解いただけなかった訳です。」

jcfさんの感覚としては勿論理解いたします。しかし、jcfさんが主張されているのは、

「多くの地域住民や原発の必要性を認める人の<リスクを認めた上で、受け入れられる>という感覚は、どうしたらご理解いただけるでしょうか。」

ということです。僕にかれらの主張を代弁できないように、jcfさんもこのように断定的にはいえない筈です。



「断定できないということと、感情で言っているのとは違いますから、断定できない理由を書くべきなのですね。」
 お手数ですが、お願いいたします。

「エネルギー産出比」
 ソースをお示しいただきありがとうございました。ご多忙な中、難しいお願いをしてしまい申し訳ございませんでした。jcfさんがそういった論考を論拠を背景にご発言されていることが確認できましたので、無宗教家さんからは反駁があるかもしれませんが、僕にその知識はありませんので、以後しばらくは勉強に専念し、エネルギー効率に関する疑念を呈するのは控えます。

 できれば、このコメントを僕の記事に転載されていただければ、大変嬉しく思います。ご覧になったかも知れませんが、僕はjcfさんとのやりとりとは別に現状の原子力発電のエネルギー効率に疑問を呈する記事をアップしております(http://blogs.yahoo.co.jp/liki1978/42742057.html)。jcfさんの情報が寄せられた今、別の視点からの記事をアップすることが必要だと感じています。ですが、jcfさんのようにはっきりとした情報は残念ながら僕の自力では見つけることができません。あつかましいお願いかとは存じますが、ご検討いただければ幸いです。


「おわび(ていせいはまだ・・・・)コメントの続き③」(http://blogs.yahoo.co.jp/liki1978/43040112.html)に続きます(^^;。