あなたは・・・・・

 あなたは神を信じますか?

 あなたは仏を信じますか?

 あなたは天使を信じますか?

 あなたは女神を信じますか?

 あなたは真理の存在を信じますか?

 あなたは正義の存在を信じますか?

 あなたは愛の存在を信じますか?

 あなたは夢の存在を信じますか?

 あなたは運命の存在を信じますか?

 あなたは魔法の存在を信じますか?

 あなたは魂の存在を信じますか?

 あなたは真実の存在を信じますか?

 あなたは努力の意義を信じますか?

 希望の存在を信じますか?

 あなたは誠実であるべきと信じますか?
 
 あなたは生命の平等を信じますか?

 あなたは平和の価値を信じますか?

 あなたは自然の法の存在を信じますか?

 あなたは護るべき倫理の存在を信じますか?

 あなたは世の中に誇るべきものがあると信じますか?

 あなたは曲げてはならない信念が存在すると信じますか?

 あなたは生きることに意味があると信じますか? 

 あなたは世界を素晴らしいものだと信じますか?



 あなたは信じるべきものがあると信じますか?



 信じるもの、信じるべきものを持たない人間はいない、と思う。ただ、まだそれに向き合うことができていないか、自らが信じるべきだと信じていることを裏切っている人間と、信じることに向き合っている人間がいるだけだ。信じることを追求すること、自らが信じることの顔をはっきりと捉えるために進むことには、何の留保も要らない。それは常にその人の中だけに宿り、回帰を待っているものだからだ。

 僕は坊さんを信じないが、自らの中に仏と呼べるものの姿が埋もれているのを感じる。聖書を信じないが、神の愛というものの姿を感じる。金を信じない。結婚証明書を信じない。言葉を信じない。だが、愛、信念、理解、真実、これらの存在を感じる。問題はそこに向かうことができているか、だ。

 僕は信じるものに向き合っているひとを尊敬する。そして、向き合うことができない態度、他者の信じる心を軽侮する態度を嫌悪する。

 誰もが自らの背後に光を持つ。その光の中を歩みたいと願う。人間が生きる世界は、それを妨げるものであってはならない。自らが光に向き合えないからといって、互いの足を引っ張り合うような卑怯ものたちの世界であってはならない、と僕は信じている。