風の中の火のように

 瀬尾一三さんのアレンジって、ちょっとエコーの扱い方が大時代的過ぎる気がするのですが、それは普遍的に愛される方向性ということでもあり、この曲でのアレンジは成功していると思います。

 こういう正面から家族、都会の生を歌う大人のロックって、この当時は主流でしたが、今ないです。大人の聴くものというと雰囲気だけのオシャレ系ということになってしまっていますね。椎名林檎のようなアーティストまでがそういう方向に甘んじているのは本当に残念です。

 現在のミスチル(というか桜井和寿)なんかの作品は雰囲気的にはこの頃の甲斐よしひろの世界に近いですが、かれらが歌うのはそれはあまりに狭い現実になってしまっている気がします。家族を想う、伴侶を想い、子供を想うのはいいことですが、それが非常に小さな殻の中での物語、街の光景が眼前に浮かばず、3LDKのアパートの中の非常に狭くて弱い論理に終始している。

 街がただの書割の風景ではなく、朝と昼と夜、そして再び朝、そこに生活するひとびとの物語が雑踏の中から聴こえてくる。それがこの曲とアルバム『嵐の明日』の魅力だと想います。