ゴミ掃除

「ホームレスに火をつけてゴミ掃除」とかのたもうた少年たち。

いずれも中卒、高校落ち零れ、彼らの論理でいけば自分たち自身、十中八九10年20年後には「ゴミ」の仲間入りをしていることに気づかないのか。

「頑張ったものと頑張らなかったものに差がつくのは当たり前」、「頑張れば勝ち組になれる社会は正しい」、「弱者が頑張ったものの足を引っ張るのは共産主義」などと、幼稚な論理を得意げに見せびらかす大人が増えた。

今の世界は、すべての道で頑張れば「勝ち組」になれるような単純なものではないし、逆に頑張れば頑張るほどジリ貧に陥りざるを得ないひとも多い。むしろ、今羽振りがいい連中は、手厚い保護産業の生簀の中だからのさばっているのだ。平清盛の威光を受けて、「平氏にあらずんば人にあらず」と嘯いているようなしゃらくささがある。

派遣社員からピンはねしてのうのうとお大尽暮らししてる奴が政府の諮問委員をしている。株価が落ちるからと、自民を敗北させた選挙民の行動に文句をつける奴がいる。実にわかりやすい。自分がかわいいのだ。だが、実際には何の後ろ盾も持たない少年たちが、弱肉強食、優生学イデオロギーとしてこれを摂取する。ヒトラーは戦力としてこの無根拠の優越感を利用した。だが日本の現在の子どもたちはどこにいくのか。

大人が生活のためならいつでもすぐに宗旨替えすることができる、そんな安い戯言、無内容な「美しい国」という標語を、「汚いコジキのいない美しい国」と読んで、やすやすとイデオロギー純化してしまう子どもたちは、現代の滑稽な縮図であり、犠牲者である。