前門の虎 後門の狼

一国の領袖のやったことというのは、どんな奴のやることでも簡単にいい悪い、成功失敗で片付けられるものではなく、中曽根やサッチャーレーガンでも、カストロでも毛沢東であろうと、評価する声は必ずあるように、遠からず、安倍再評価の動きも起こってくるだろう。というか、在任中から政策自体は悪くない、といっているひとが多いのだから、ただマスコミの安倍降ろしに負けた、とだけ記憶されるかもしれない。

それでは困るのだ。

諺に「前門の虎 後門の狼」という。「評史」によると、漢の和帝が造反を謀った家臣を誅殺したとき、手柄のあった家臣を重用せず、宦官の言を多用するようになったために国が乱れたという故事に由来する。狼とは後宮の宦官たちを喩えたものとされる。

小泉、安倍の改革とは、狼を退治して虎を入れようとしているようなものだ。官の腐敗とは確かにこの国の病根だが、それを切除するために錆びた鋸を振るうのが彼らのやり口なのだ。

郵政民営化の動きの中でまんまと基幹事業の中に入り込んだ派遣業者、市場に流れた郵貯の資金はどこへ吸収されるのか。今の国の状態で年金事業が民営化などされれば、年金の行方など今よりもっと危うくなるのではないか。本来なら官の手で手厚く行わなければならない介護事業は脛に傷持つ連中に任せっきりにした結果、破綻しようとしている。一部の大企業のみを保護し続けた結果、経団連の発言力は際限なく大きくなり、労働者はますます弱い立場に追い込まれている。一方で社会的弱者である障害者には自立の名の下に重い負担を強いる。

ホワイトカラーエグゼプションといい、愛国心、派遣など、欧米で行われている習慣を上辺だけ取ってきて、中身はまったく都合のいいように作り変える。国の危機だの世界における日本の誇りだの脅しつけ自尊心をくすぐり、まるきり日露戦争、いや明治開国の時代からやりくちは同じ。未だに情報鎖国状態の日本では本当に世の中に胡乱な空気が立ち込めるまで専横を許したが、本来なら二年前に自公政権が倒され、彼らがやろうとしていたことが明るみに出ていなければならなかった。この動きは遅きに失しているのではないかという恐れがよぎる。

世間の安倍評を見ていると、政策はしっかり通している、という声はあれど、こういった政策の中身についての評価はほとんど聞こえてこない。ここに安倍が消えたとしても小泉竹中とともにその影は消えない、という不安がある。いや、その影はずっと以前から差しており、何度も死んだように見えてしぶとく甦ってきたもののはずだ。

けりをつけた上での再評価ならいい、だが、今度もまた、根を残して地上だけをきれいにしただけなら、本当に危ないことだと思う。<続けなければならない改革>の本当の中身とは何なのか。それを暴くには政権交代しかない。