ダイアリー。

全然書かなかったので日記的なことの書き方を忘れてしまった(^^;。

なぜか矢沢永吉の「成り上がり」を読んでいるw。ブックオフで55円で買えたので。さすがにヤザワ自身の書いてることはそんなにドギュンな感じではないですね。自身以外はドギュンな感じなのかといわれると困りますが(^^;。

ヤザワの曲はまったくまともに聴いたことない自分ですが(ファンキーモンキーベイベーのイメージしかないや)、こういうバンドとかミュージシャンの下積み時代の苦労話みたいのはヤザワに限らず全然知らんようなひとの話でも結構好きです。チャック・ベリーの自伝とか、本だけ読んで音楽は聴かないというようなことを昔から平気でやってました。

下手な小説より、自伝とか史実になるたけ忠実な歴史物の方が好きなんですよね。というよりも、むしろあんまり小説は好きじゃない。小説っていっても、結局現代の小説ってのは作者のエゴ剥き出しでさあ、どうしたって作者の魅力次第っていうか、結局テーマよりも作者につく、という読み方になりがちじゃない、それって結構ダルいよね、って感じなんですが。結局僕の読み方の問題なのかも知れませんけど。どうしても同じ作者を追っちゃうんで、つまみ食い的に個性の強そうな作者の本に新たに手を出すのが億劫になっちゃうんですよね。気に入った作者がいれば、段々馴れ合いな感じというか、内輪意識みたいなのが出てきてなぁなぁな読み方になっちゃうのが自分で嫌になってくるところもあるし。

自伝って、すべてが事実とはまったくいえませんが、それでも、書くときの意識としては、本人のエゴイック・ファンタジーに染まりきらないで済む感じがしますね。やっぱ勝手な人生哲学より、できるだけ事実に即して書かなきゃ、って意識的縛りが入るじゃないですか、強制されずとも。いくら教訓めいた話にしようとしても、これこれこうであった、だからこうである、という結論付けに、「ホントにそうかぁ?」と突っ込める余地がある。孔子の言行録とかみたいに。予定調和になりきれない部分が残る。

非予定調和っていうのはフィクションだと結構そうしようと思っても難しいと思う。それこそ書き手に腕がないと。最近は完全予定調和っていうか、隅々まで複線を張り巡らせてきっちり回収しきるようなのが好まれますし、漫画のカイジとか、僕も好きですが、それよりも結論とかとってつけたような感じでも、起承転までの世界の魅力でそんなものはどうでもよくなるような作品の方が自分の中では好み。

そういう意味では自伝も歴史も、仮に「こうして彼は勝利したのである」っていうような締めでも、実際にはその後に延々と押し寄せる不測の連続で押し流され行く砂上の楼閣なわけじゃないですか。完全勝利なんてのはありえない。そういうフラジャイルさが好きなんでしょうね。