「googleでもっと、」うざい

最近やたらと目に入るGoogleの広告。段々と見るたびに殺意すら沸くようになってきた。

あれはなんですかね、おもしろーい、わたしもgoogleのさーびすでなにかFunなArtをやってみよー、って思わせたいわけ?

Appleユーザーの妙な私達Coolです選民意識みたいのもむかつくことはむかつくのだが、まぁしかしMacOSネィティブじゃないとちゃんと使えないデザイン系やDAW系のソフトがあるんだよ!といわれると納得できないことはない。しかし、Googleのイラッと来るところは、僕たちGoogleの自由な発想のサービスを利用してこんなにも自由にFunFunできちゃいま~す、という徹底的な当人目線。

君たちCMの中のFunFunな若者たちが自由な発想で利用しちゃいま~す、というのはいいだろう。しかし、Googleのサービスが好んで使用されているのは、検索結果の精度だったり、自動翻訳の便利さだったり、マップの使いやすさだったり、ブラウザの応答性だったり、テレビ番組でGoogleアースのある地域の画像を利用できたりする利便性、手軽さにあるのではないのか?それは開発者側の自由な発想の賜物かもしれないけれど、別に利用する側のほとんどは発展性なんか考えて使っていないし、実用本位の評価しかしていないと思う。

それを、僕たちの自由でFunFunな発想から生まれてきたサービスなんだからね、キミたちもどんどん自由な発想で実生活においてFunFunなものにしていってくれないと嫌なんだよね、というかそういうFunFnな発想をできないMicrosoftのような頭の固い連中には使ってほしくないんだよね、実際。みたいな態度で来られると、違うんじゃねぇか、Google検索外すぞ、こら!いや、Bing使えねぇから外さねぇけど、などと思ってしまうわけですよ、こちとら。