Different Gear, Still Speeding

ノエル兄貴の声はそんなに好きではないけれど、アルバム一枚を通して聴くうえではいいアクセントになっていたんだなぁ、と痛感させられる。

クオリティがどうとか、今更そんなことを論じる積りはない。そら凡庸よ。Hurricane#1 meetsリアルリアムよ。でも、それはoasisマイナスノエルの解として超想定内でしかない。問題は、リアムの声だけを聴き続けることの辛さ!

極厚ステーキをひとりで食べきるようなもので、いくら好きでもとにかく食傷してしまう。リアムヴォーカルオンリーということで、"Be Here Now"もその傾向があったが、同じステーキ肉でも今回はちょっとスパイスの効きが少ない分、より胃にもたれる。

以前は延々"Be Here Now"リピートして、「クドいってこき下ろす連中はちょっと低く見過ぎじゃん?」なんて思ってた僕も、年を取って胃が弱くなったということか。

まぁとにかくアルバム一枚通して聴くのが辛いというのはBeady Eyeに限らず、洋楽全般にいえる傾向なのだが、"Heathen Chemistry"以降のoasisはわびさびを弁えた洋楽としては稀有なアルバム全体でひとつの物語として聴ける作品をつくってきていただけに、そういうジャイアントとしての地位を喪った姿がやっぱり残念。

以前にも書いたが、oasisって、わびさびと暗さなんだよね。ノエルの持つダークな世界というのがやっぱり得難いものだったんだと思う。

勿論、何度もいうがリアムと残ったメンバーにそれを求めても仕方がないことは納得した上で、僕はBeady Eyeというoasisとは別のバンドとして聴いていくつもりではある。しかし、あまりにもひねりが足りない。やっぱりひねり、ひとつ天邪鬼なところがないとなんでも面白くない。Death In Vegasとやった'Scorpio Rising'のように、リアムの声は別のフィールドでも輝く魅力を持っていると思う。ノエルのいない今、むしろかたちに拘らず、他流試合のようにこれまでoasisの枠の中では接点を持てなかったジャンルの連中とやってみるのもいいのではないか。

まぁしかし、この編成だと現実にはoasisナンバーをライヴのハイライトにしながら以前のように盛り上げる感じで誤魔化してやっていくんだろうなぁ。ノエルが帰ってくるのを待つ体制にしか見えない(^^;。ノエルにいつまで経っても振り向いてもらえない場合Beady Eyeで何枚アルバムが続くか、ある意味楽しみ。ネタ切れになった時がこのバンドが化学変化を起こし得るタイミングだと思う。