自衛隊は災害レスキュー隊か?

こういう時にこういうことを書くのは少々はばかられるのですが、今回のような大災害時に自衛隊が英雄的組織のように称賛されるのは少々違和感を感じます。

自衛隊の災害救援活動、それは素晴らしいことを行っている、そこを否定したいわけではもちろんありません。しかし、自衛隊は災害救援のために存在しているのか?しかし、もしそうであるのなら、戦闘機や戦車は必要ではないですよね。そもそもSelf-Defense Forcesではなく、National Rescue Partyとでも呼ばれている筈。

今回は防衛のための軍事力保有ということを頭から否定する目的で書いているわけではないのです。ただ、今回自衛隊に世話になったからといって、自衛隊のあり方そのものに無批判であっていいものなのか?寧ろ、このような災害で自衛隊に頼らなければならない現実があるからこそ、あえて指摘させていただきたい。

自衛隊の歴史の中で、災害派遣と防衛出動・治安出動と、どちらがより多く発令されたことがあり、また、どちらにより重きを置くべき事情にある国なのか。これは明らかなのではないかと思います。防衛・治安出動は史上一度も発令されたことがありません。

これは、自衛隊在日米軍が抑止力として十分に機能してきた結果なのでしょうか。ま、そういう見方もあるでしょう。抑止力を維持するためには兵器の更新、増強が必要?そうかも知れませんね。竹島が盗られた、対馬が占拠される、北方四島が帰ってこない?ふむ、まぁいいたいことはわかりますが、外交力とは抑止力だけに依拠するものなのでしょうか。まぁ僕は国家元首に政治的決断能力皆無な国家の体制そのものが根源的問題だと思いますが。

ともかく、僕はこれを機会にして、自衛隊の装備や役割のあり方というものを詳細に再検討し、見直すべきだと思います。災害救助隊との分割も視野に入れて。ありがたいことに前例はありませんが、もし万が一、防衛出動と災害派遣が被ったらどうするのでしょうか。


こういう事態が発生したとき、救助活動を美談化、あるいは政府の対応に怒りの矛先をぶつけるのは、仕方ない部分もあるでしょうが、それにしてもあまりにも無批判で感情的に流れすぎる傾向が気になります。むしろこういうときだからこそ、見えてくる根本的な問題点、論点があるのではないか。


余談になります。災害対策予備費事業仕分けパフォーマンスのせいで犠牲者が増えていると蓮舫が叩かれてますが、他に槍玉に挙がっている学校耐震化予算は実際には予算削減すらされていないようですし(こちらで記事にされています)、地震再保険特別会計が削られたから死者が増えるという理屈はさっぱりわかりませんね。災害対策予備費はどのように使われるものなのか、調べてみても出てきません。そもそも予防的に使われる予定だったものなのか、それとも予後のための予算なのか、そこがわからなければ<削った分だけ死者が出てる>ということになるのかどうかわかりませんよね。口蹄疫の件でも騒がれているところを見ると、おそらく予後のための予算でしょうが・・・・。