対岸の火事

福岡在住ですが、町の様子は驚くほど平静です。
 
直接的被害がなかったのですから、当然といえば当然なのかもしれませんが、よく考えてみれば、関東以東の機能がここまで麻痺状態で経済活動などに影響がないわけがない。買占め騒ぎなど、もうちょっと慌てていてもおかしくはないのですが、鈍感とか肝が太いとかタフというよりも、人間というのは本当にぎりぎりになるまで<普段>や<日常>に留まろうとする生き物なのでしょう。
 
対岸の火事、というけれど、向こう岸の火がこちらに回ってこないとも限らない。それでも、人間は火が向こう岸にある限りは、日常を続けようとする。無関心、他人事というわけではない。仕事を止めるわけにはいかないから、日常の歯車がまだ回転しているから、という習慣に追い立てられ、閾値に達するまでは不安がそれにマスクされている。
 
そういう生き物でなければ歴史は続いてこなかったのでしょう。正しい間違いという問題ではない。しかし、そうわかってはいても、なんとなく胸苦しさを覚えるのです。