半田づけ初体験

 今日は休みだったのですが、雨雨雨。都合があって市役所に出かけた帰りに桜を見ながら帰ってきましたが、もう大分散り始めていました。雨の中の桜もそう悪くない雰囲気がありますが、やはり晴天下で花見ができなかったのは少し惜しいです。
 さて、家に帰って、100円ショップで買ってきた防振ジェルを早速オーディオ機器の下に敷きまくりました。音は、正直良くなったのか悪くなったのかわかりませんが、敷く前よりもボリュウムを上げなくてもでかい音が出る気が。でも、機器の電源を全部壁コンセントにしたので、その影響のような気もします。
 その後、以前買ってあったものの、端末処理をしていなかったベルデンのケーブルで初の半田づけに挑戦です。そうです、情けないことに、この歳になるまで僕は半田ごてというものを握ったことがありません。高校ではなぜか僕らの年から男子も家庭科が必修になって、技術科の授業を受けたことがないのです。
 どういうことをするのかよくわからないまま、スズを溶かして端末になすりつけます。でっかいたまりができるは、ビニール膜の部分を溶かしてしまうは、あぶなっかしいことおびただしいのですが、何とか最後にはなんとなくスズを流す、という意味がわかったような気がします。
 徐々にそんなに危険でないところから練習して、いずれはケーブルを自作したり、機材の修理や配線の線の変更などしてみたいという野望を抱いてはいますが、生来のいい加減な性格と不器用さですので、道は遠そうです。
 スズは非常に身体に悪いそうで、スズを扱う職業の方は健康を犠牲にして仕事をしているようです。職業病、というのはどの職業にでもあるのでしょうが、工業系の現場というのは技術がいくら進歩しても人間の手作業自体は大昔から大して変わってないようで、えー、いまだにこんな危険なやり方してるの?と思うことばかりです。

本日のBGM

MADONNA "Confessions on a Dance Floor"

女性アーティストの場合、歌のうまさや声、容姿など、すべての面で、今のポップミュージックでは黒人が優位だと思うのですが、僕にはあまり面白いと思える黒人女性アーティストは居ません。どうしてかなあ、と考えると、かの女たちは才能がありすぎて<努力しない>ように見えるためであるようです。
 マドンナは決して歌が非常にうまい訳ではないし、他にも身体的、技能的に傑出した部分というのはないと思います。それでも現在でも第一線で活躍し、それどころかこのアルバムのような社会現象的な作品を産み出せるのは、自分に足りない部分を自覚し、それを強みに変えられるような方法論を自ら模索し続けているからでしょう。かの女がある時点で成功した方法論に安住していたら、より天性の技能に恵まれた若者にとっくに追い越されていたでしょう。
 はじめから才能に恵まれすぎているひとには、そのような動機は生まれにくいでしょう。この対比は、現在のポップミュージックと、オペラやクラシックとの差にもいえるように思えます。ポップミュージックは、楽器が下手でも、声域が狭くても、楽譜が書けなくてもコードを二つしか押さえられなくてもつくり出せます。それは制限や障害の中で、逆に研ぎ澄まされる部分があるからでしょう。逆に技術的にずっと高度なクラシカルな音楽というのはどうでしょう。少なくとも現代では、その世界ではポップミュージックに比べると、ひどく狭く閉じた、緩慢な変化しか起きていないように見えます。その音楽を行うことができる人々というのは、天性の才能に恵まれ、すばらしい技術を習得していますが、その持てるものにふさわしいものを産み出し続けているようには思えません。もしかれらが、ポップミュージックを行うひとびとのように、積極的に変化を求め、新たな方程式を模索していれば、それはすばらしいものを産み出せそうに思えるのですが、こういった要素は決して両立し得ないもののようです。