不寛容(イントレランス)

 
 映画『イントレランス』を見ました。誰もが知る(だって解説の淀川さんがそういってたんだもの

(笑))、サイレント映画時代の傑作ですね。

 1916年、アメリカのD・W・グリフィスの監督作。162分に及ぶ当時としても破格のスケールの長尺で、

セットを見ても一体いくらかかってるんだー、と呆然とするほどの大作です。現在、全部セットでこれに

匹敵するものを製作しようと思っても、もしかしら不可能なくらいかもしれませんね。
 
 この映画が1989年に、日本でフルオーケストラつきで再演された際に、甲斐よしひろが「ミッドナイ

ト・プラス・ワン」という曲をイメージソングとして提供しているのですが、僕の買ったDVDでは見事に

まったくそのことには触れられてすらいませんね(涙)。まあ、当たり前かもしれませんが。僕が知った

のは当然ながら(?)甲斐よしひろつながりです。でなきゃこんな古い映画の存在を知ってるはずありま

せん(笑)。
 
 さて、肝心の内容ですが、「途中で寝ちゃうかも」と心配していましたが、案に相違して(おい)、非

常に面白かったです。

 4つの異なる時代、異なる場所の出来事が織り重ねられて物語が紡ぎ上げられていきます。バビロニア

の滅亡、イエス磔刑、サン・バルテルミーの虐殺、そして現代(1910年代ですが)の運命に翻弄される

若い3人の男女の物語が、(現在の感覚から見ても)テンポのいいカットバックで、それぞれの舞台にお

いて<不寛容>によってもたらされる悲劇が進行します。

 メイ・マーシュというくりくりと良く動く大きな瞳が印象的な女優がそのそれぞれの舞台すべてに異な

る役で登場するのですが、これが非常にかわいいのですよ。<バンカラな(死語)>バビロンの山娘、イ

エスが結婚式の宴で水をワインに変えたときの花嫁、婚約者との結婚を控えた新教徒の娘、恋人と離れ離

れになって街に出てギャングのボスの情夫になる娘と、幅広い役を演じ分けているのですが、どれもよく

はまっています。僕的には登場する尺的にも最も長いバビロンの娘役が<萌え萌え>(笑)でしたが。

 でも、このひと解説見ると脇役扱いなんですよね。まあ物語的にも、不寛容の悲劇の連鎖を断ち切るモ

メントとなっているのが、現代編に登場する主演(扱い)のリリアン・ギッシュ演じる純粋な少女である

ことは確かですが。

 この映画を見てて思い出したのが手塚治虫の『火の鳥』なんですが、『イントレランス』のラストが一

応ハッピーエンドっぽいのに対して、手塚治虫の作品には形而下的な救いの光はありませんね。作者の性

質の差かもしれませんが、まだ理想を信じられた20世紀初頭の<無垢な>アメリカと、二つの大戦以後の

<不寛容>の波に飲み込まれそうになった<現代>の差でもあるかも知れません。グリフィスは決して妥

協せず、ぎりぎりのところに救いを見出していると思いますが、現代においても同じ描写が<リアル>で

ありうるとは思えません。

 世界は、グリフィスが知っていた3つの不寛容の銘碑の上に、短い間になんと多くを加えたのかと、別

の戦慄を覚えさせる作品でもありました。

 リリアン・ギッシュって、ベティ・ディヴィスと一緒に1987年の『八月の鯨』に出てたひとだったんで

すね。出演時90歳・・・。『八月の鯨』を見直してみたら、また違った感慨を得られそうです。