石を売るか裸を売るか
つげ義春の漫画『無能の人』に、「石を売る」というサブタイトルの回があります。家庭を持つ仕事の
ない漫画家が河原で拾ってきた石を奇岩として売ろうとする話だったと思いますが、大抵の男性にとって
これは訳もなく身につまされるのではないでしょうか。男は仕事、やっていることの社会的評価に接続さ
れていなければ無であるという恐怖心からは、どんなに達観した方でも無縁ではいられないと思います。
そのために、自分のやっていることが本当に社会的評価(お金)につながっているのもなのか、ひょっと
したら周囲から見たら児戯じみたことではないのか、という恐怖心がつげ作品にシンパシーを抱かせるの
でしょう。
最近では失業の恐怖がより身近になったせいか、もっと前向きな意味づけがなされた作品のほうが好ま
れるようです。失業した男たちがストリップショーを開く映画『フルモンティ』くらいからの傾向でしょ
うか、やたらと「素人が変なことに挑戦して成功する実録モノ風」が増えました。
映画でもノヴェルでも、そういうのは英国発のものが多いのですが、今日DVDで見た『カレンダーガ
ールズ』は、ヨークシャーのおば様方が病院に椅子を寄付するためにヌードカレンダーを製作するお話。
これは実話を基にしていて、実際カレンダーが出てから大反響が起き、このDVDの発売当時で既に10
0万ポンドを超えようかという勢いで売り上げていたようです。
カレンダー自体を見ただけではどうしてそこまで熱狂することができるのかわからないのですが、向こ
うの人が好きなチャリティという天下御免の動機付けが背景にあったために思う存分悪乗りできたのでし
ょうか(現在ではカレンダーの売り上げは癌撲滅運動の基金となっているようです)。
チャリティとはいえ、おば様方のマーケティング能力にはすごいものがあります。映画でも実際にカレ
ンダーをつくるまでの経緯の描写よりもその後のサクセスの様子の方に重きが置かれています。
ロックンロールをビックビジネスにしたのもライブエイドを発信したのも英国ですが、こういう無意味
を愛する心の余裕と発想力の豊かさと、ただ石を並べて値札をつけてみる日本の無能の人を並べて見ると
、何となく生きる気力が湧いてくるような削がれるような。ああ、またオチがない・・・。
ない漫画家が河原で拾ってきた石を奇岩として売ろうとする話だったと思いますが、大抵の男性にとって
これは訳もなく身につまされるのではないでしょうか。男は仕事、やっていることの社会的評価に接続さ
れていなければ無であるという恐怖心からは、どんなに達観した方でも無縁ではいられないと思います。
そのために、自分のやっていることが本当に社会的評価(お金)につながっているのもなのか、ひょっと
したら周囲から見たら児戯じみたことではないのか、という恐怖心がつげ作品にシンパシーを抱かせるの
でしょう。
最近では失業の恐怖がより身近になったせいか、もっと前向きな意味づけがなされた作品のほうが好ま
れるようです。失業した男たちがストリップショーを開く映画『フルモンティ』くらいからの傾向でしょ
うか、やたらと「素人が変なことに挑戦して成功する実録モノ風」が増えました。
映画でもノヴェルでも、そういうのは英国発のものが多いのですが、今日DVDで見た『カレンダーガ
ールズ』は、ヨークシャーのおば様方が病院に椅子を寄付するためにヌードカレンダーを製作するお話。
これは実話を基にしていて、実際カレンダーが出てから大反響が起き、このDVDの発売当時で既に10
0万ポンドを超えようかという勢いで売り上げていたようです。
カレンダー自体を見ただけではどうしてそこまで熱狂することができるのかわからないのですが、向こ
うの人が好きなチャリティという天下御免の動機付けが背景にあったために思う存分悪乗りできたのでし
ょうか(現在ではカレンダーの売り上げは癌撲滅運動の基金となっているようです)。
チャリティとはいえ、おば様方のマーケティング能力にはすごいものがあります。映画でも実際にカレ
ンダーをつくるまでの経緯の描写よりもその後のサクセスの様子の方に重きが置かれています。
ロックンロールをビックビジネスにしたのもライブエイドを発信したのも英国ですが、こういう無意味
を愛する心の余裕と発想力の豊かさと、ただ石を並べて値札をつけてみる日本の無能の人を並べて見ると
、何となく生きる気力が湧いてくるような削がれるような。ああ、またオチがない・・・。