だれが殺した?クックロビン

浜崎あゆみの曲に「Endless Sollow」というのがありますが、そのコーラス部分の歌詞は「君にもし翼が ひとつしかなくても 僕にもし翼が ひとつしか残ってなくても」「君にもし翼が 残されてなくても 僕にまだ翼が ひとつだけ残って いるから 一緒に」という風になっています。

 この歌詞は多分に萩尾望都の『トーマの心臓』を意識して書かれているのではないかと思います。ただ、『トーマの心臓』の方では言い方が異なっていて、「君に翼がなくて天国に行けないのなら、僕の翼を片方でも両羽根でもあげるよ」というニュアンスですが。


70年代に思春期を過ごした文学好きの青年たちにとって、萩尾望都という作家、特にこの『トーマの心臓』という作品が及ぼした影響は甚大なものがあったようです。その冒頭から既に、この作品が新たな扉を開いたことははっきりと示されます。


「ぼくは ほぼ半年の間ずっと考え続けていた
 僕の生と死と それからひとりの友人について

 ぼくは成熟しただけの子どもだ ということはじゅうぶんわかっているし
 だからこの少年の時としての愛が
 性もなく正体もわからないなにか透明なものへ向かって
 投げ出されるのだということも知っている

 これは単純なカケなぞじゃない
 それから ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない
 彼がぼくを愛さねばならないのだ
 どうしても

 今 彼は死んでいるも同然だ
 そして彼を生かすために
 ぼくはぼくのからだが打ちくずれるのなんか なんとも思わない

 人は二度死ぬという まず自己の死 そしてのち 友人に忘れ去られることの死
 
 それなら永遠に
 ぼくには二度めの死はないのだ (彼は死んでもぼくを忘れまい)
 そうして
 ぼくはずっと生きている
 彼の目の上に」


 トーマという少年の投身自殺とかれの遺書からはじまる物語は、かれが自らの死によって生かそうとしたユリスモールという少年と、死んだトーマに瓜二つの転校生エーリク、そして「顕微鏡の下の同じ単細胞生物みたい」な少年たちの「まるでひとしつぶのしずくの中の世界」である寄宿学校で展開していきます。

萩尾望都の描く少年たちは、異性の存在を知らず、同性と肉親への愛しか知りません。かれらはいわば幼生です。かれらの愛は『ライ麦畑』のホールデンの真の対象を見つけられず、誰にでも投げ出される愛に似ていますが、それよりももっと幼く、利他的です。かれらは肉体的には大人に近づいているのですが、なにものも持たされず、持つことを許されず、外界では纏うことができるあらゆる権威、外的な<個性>を剥ぎ取られ、没個性な制服に着替えさせられて、そこに歩み入る前よりもより無力な存在とならざるを得ません。そこはまさに無菌室のような世界で、外から持ち込まれたどんな些細な悪にも少年たちは敏感に反応を示します。全てが刹那に過ぎ行く中で、愛は所有しようとするものではなく、幼児が両親にするように、愛されるために捧げる対象を求める、与えようとするものにならざるを得ません。そして、少年たちは幼児のように、肉体を擲つことしか愛される術を知りません。

その原初的な愛は、イエスが最後の晩餐の席において「このパンはわたしの肉体、ワインは血である」といい、自らの肉体を擲って磔刑となり全人類を救おうとしたという考え方に似ています。『トーマの心臓』においてイエスの死はより密室的な愛として表現されます。自らを少年たちの間でただひとり天国への翼を持たないユダであると感じていたユリスモールにとって、冒頭に引いたような「君に翼がないのなら僕のをあげる」というエーリクの言葉によって、イエスはユダひとりのために肉体を捨てたのだと理解されるのです。

幼児期において、多くの子どもが<両親が自分の身体を食卓の上に並べて一緒に食べる>という類の夢想を抱くといわれます。これは昔話に登場する継母や食人の山姥が、本来は主人公の実の親であったと考えられることからも妥当に思われます。そのような空想は様々なものを纏いすぎた我々にとっては痛ましいものに映りますが、当の子どもたちにとっては甘美な戦慄、快楽ですらあるのでしょう。

萩尾望都は、鮮烈な愛、どのような年齢であっても皮をはがれて剥き出しになったような痛みと鋭さに満ちた生を描き続けて来ました。この作品と同時期に書き継がれていた『ポーの一族』シリーズの一篇、『トーマの心臓』の雛形のひとつでもあると思われる「小鳥の巣」において、投身自殺したひとりの少年の死に寄せて、「誰が殺した、クックロビン」というマザーグースの詩が歌われます。クックロビンの死とは無原罪の死であると考えるなら、萩尾望都の作品は現在にいたるまでその問いに貫かれているという言い回しも可能かもしれません。


なお、今回の記事の「」部分は引用部分ですが、一部省略して引いてある部分もあります。念のため。