らせん階段

 甲斐バンドというバンドのアルバムで、はじめて買ったのは『ガラスの動物園』(1976年発表)だった。だから、この「らせん階段」が初めて聴いた甲斐さんの曲ということになる(厳密にはその前に「ガラスの動物園のテーマ」というインストゥルメンタルがあるけれど)。

「この世の中をなにもなく 晴れた日をめざし
 調子よく風にまかせて 渡っていく奴もいる

 躓いては起ち上がり よろめきながら生きている
 そうさほとんどの奴が ただ落ちていくだけ

 人生なんてそんな風に 悪い旅じゃないはず 
 巡り巡る人生は 曲がりくねった階段のように

 
 都会という名のガラスのようにきらめく町
 狭き檻のその中で うごめくひとたち

 話すことなく僕はしゃべり 聞くことなく耳を傾け
 見えない明日を手探りで 駆け上っていく

 人生なんてそんな風に 悪い旅じゃないはず 
 巡り巡る人生は 曲がりくねった階段のように」

 当時音楽のことなどまるで知らず、1970年代の日本の音楽といえばフォークのイメージだった僕にとってこの曲は結構新鮮な驚きだった。「昔の曲なのに結構格好いいやん」と思って、「テレフォン・ノイローゼ」とともにアルバムのフェイヴァリットソングになった。

 確かどこかで「「らせん階段」という曲は、回転木馬のように次々と視点、風景が切り替わっていく作詞がユニーク」というような評論を読んだ覚えがあるが、僕はそれよりもどこから入り込んだか、どこに出られるかも定かでない、まさにらせん階段を駆け上っているつもりなのにおちていっているような感覚を覚える、メビウスの環のような垂直な空間で感じる閉塞感と切迫感、焦燥感がこの曲に緊迫した鋭さを与えていると思う。

 甲斐よしひろの曲には実はずっと後の作品にも似た印象を受ける曲がある。ソロアルバムの『パートナー』(1997年発表)のタイトルトラック、「パートナー」だ。

「高速エレベーターの箱の中のよう キリモミ状に夜の摩天を駆け上がる
 ザックリ胸にあけられた 愛の風穴 そこから覗くと地獄の闇が 手招きをする
 ヴァーチャルシャドウか 現実か 眩暈の向こうに君がいた」

「パートナー 愛燃やし尽くせる 相手が欲しい
 パートナー 最高のチームが組めるさ君となら
 パートナー 世界の果てまでおちてこう 今すぐ」

 「らせん階段」において「ちいさな命寄せた恋人も そこにはいたさ だけどもなにもかも捨ててきてしまった ただ引き鉄の指のように 身体ひきつらせている」とつぶやき、ただすべてを剥ぎ取り掻き毟りながらながら闇雲に階段を駆け上っていくしかなかった獣のような青年は、20年の時を経て、喪失の痛みを知り、ひとりであることを受け入れながら、それでも共に上り詰められるパートナーを求め続けられる強さを身につけている。よりしたたかに、しなやかに、夜の摩天楼から朝日差す地上に生還するイメージを勝ち得て。

*9月19日 追記

 http://ykk97.blog48.fc2.com/blog-entry-14.html#comment36

 こちらのブログ主様は鎌田ジョージ(『パートナー』におけるギタリストにして共同プロデューサー)のファンでいらっしゃるそうで、何と18歳!素晴らしく男を見る目のある方ですね、なんて(^^。

 『パートナー』で初めて甲斐さんのアルバムを聴かれたそうですが、その感想もとても18歳とは思えません。本当にいい感性を持っておられると思います(^^。