クロス ザ ルビコン

 スティーヴン・キングの小説、『デッド・ゾーン』。植物人間状態から生還した主人公、ジョニー・スミスは、その体験からサイキックの能力が開かれ、他者と接触することでその将来を予知する能力を持つようになる。スミスは、グレッグ・スティルソンという上院議員選挙に立候補中の男が、将来合衆国大統領となり、世界に破滅と荒廃をもたらす未来を予見し、それを防ぐためにスティルソンを銃で暗殺しようとする。

 この筋は明らかに<アンチ・クライスト>を意識しているように思える。世界の終末が近づき、救世主の衣を被った悪魔が現れ、はじめは善き者の顔をして名声を得て指導者の座に着き、そこで本性を現わして恐怖を世界に撒き散らし始める救世主の最大の対立者。

 宗教がネロのような世俗の権力を敵としてネガティヴにスケッチしたのがアンチクライストだが、その
姿はマスコミにとっては絶好のアイコンとなった。ニクソンレーガン、ブッシュらの合衆国大統領から、ヒトラーサダム・フセインウサマ・ビン・ラディンのようなアメリカの敵まで、政治的には両極端でありながら、その名を受けるのは常に同じ、ある共通の恐怖に従って選ばれている。

 それは彼らに力を授けたのはほかならぬ脅威を受ける我々自身であり、それが大いなる失敗だったことを悟るとともに訪れる非常な悔苦であり、プロセスを切り離されて突然到来した悪夢ではなく選択可能であった筈の地点に戻りうるなら同じ行動は取らないのに、という甲斐のない過去に心が係留されてしまう恐ろしさである。

 その悪魔の名前はしばしば民主主義とも呼ばれる。ソクラテスに毒人参を送り、政敵を次々とギロチン台に送り込んだ悪意の集合体。スミスのように未来を見通す力がない我々は常に不安と疑念に苛まれながらも、民主的合意(それ自体は民主主義の理念とはかけ離れているのだが)という名の災厄の進行を食い止めるチャンスをとらえられない。

 今、六ヶ所村で運転開始を待っている核廃棄物処理施設。イギリスやフランスで採用されていた方法を踏襲して、その処理に用いられた排水はそのまま海中に流されるのだという。現在ではとても受け入れがたく思われるそのような手段を、政府は数十年前からすでに決定されていたから、という理由を免罪符として強行しようとしている。予定、計画。我々はいまだに過去にとらわれた伝説と黙示録の世界に生きているようだ。

 飛行機でホワイトハウスに突っ込もうとした人々は、そこの住人が将来世界の災厄となる、いや、すでになりつつあるのを予見して命を擲った。それはどこまでいっても手前味噌な理屈であり、到底何千という命を道連れにして強行することが許されるはずがない。だが、あるスケジュールに従って、淡々と、事務的に進行していく最悪のシナリオが目の前を取りすぎようとするのを見るにつけ、結局のところここから抜け出そうとすれば遅かれ早かれそんなパラノイアに追いつかれ囚われるのは避けがたいのではないかとも感じられて来るのである。