iPod、CD-R、CCCD、インターネット・・・ 誰がポップミュージックを殺すのか?

 ポップミュージックが、その無根拠な自信を失っているように思えてなりません。椎名林檎宇多田ヒカルcocco、大御所のサザンにいたるまで、落ち着いたといえば聞こえはいいですが、すざまじいテンションの低下、元気のなさです。浜崎あゆみがひとり音楽バブル当時のテンションを維持しようと頑張っていると思いますが、どうやらもう周りがそのノリについていっていない気がします。

 それは日本に限りません。昨年ほど多くのネームヴァリューのあるアーティストが集中的に新作を発表した年は珍しいでしょう。にも関わらず、盛り上がりはいまいちでした。個人的にはマドンナさまの"Confession on the Dance Floor"が最高作だと思いますが、アルバムとしての評価であり、以前のような名曲乱打という状態ではありません。

 現在のインナーな社会の進行は、音楽のあっけらかんとした確信を打ち砕いていきます。そういった幼さを否定されたアーティストたちは、大風呂敷を広げるやり方を忘れ、自身も内向きの誠実さを求めるようにならざるを得ないでしょう。こういった未来図は、既に15年近く前にプリンスが予め示していたものでした。

 まったく根拠のない自信、世界中に響き渡る不穏な叫び、ポップミュージックを支えていた大いなる青さが、疑いによって消え去っています。消費者は不実で自分勝手な放蕩ものであることを音楽に求めますが、音楽を縛り、良い子にならざるを得なくさせているのも消費者自身です。

 この問題は、音楽の商業的価値の低下が悪いとか、製作者側の音楽を台無しにするような過剰反応が悪いとか、一方に決めつけることのできる性質のものではありません。

 酸素のない水中でも生きられる魚がいないとは言い切れません。これからも、呆れ返るような大法螺で連れ出してくれる音楽は生まれうるでしょう。ですが、夢を見させてくれるのを待つのではなく、自ら夢を生きることはできないのでしょうか?そこに音楽を掬いだす鍵があるように思えます。



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 去年の12月にこのブログを開設してから3ヶ月ほど、どういう内容にしていいかわからず抛ってあった時期があるのですが、これは2月ごろに書いてみた、多分ブログを開いて2本目くらいの記事です。書いてはみたものの、あまりに似非評論家然とした青臭い内容に、アップする勇気がなく、ずっと非公開にしていました(^^;。

 今回書庫を整理していて見つけ出し、改めて見直すと、ああ、あほなこと書いてるなぁ、でも、最近の記事もそんなに変わらん、というか退化してないか?(TT、という感じがしたので、思い切ってアップしてみましたw。