ブックレヴュー 残酷な神が支配する

 萩尾望都の「サイコ・サスペンス」。

 母親の再婚を契機にアメリカからイギリスに移り住み、義父の家族と生活するようになった少年ジェルミは、夜毎義父グレッグの性的虐待に苦しめられる。やがて追い詰められたジェルミは義父殺害を計画するが・・・・・・。

 詰らない推理小説の荒筋風の書き方になってしまいましたw。この作品、はじめ読んだときは、なんで萩尾望都がこんなエログロを書くんだろう、とちょっと思ったくらい、グレッグのジェルミに対する虐待の描写が生々しく、マニアック。この作品を読んでいるうちに自然とハードSMの知識が増していくことは請け合いです(^^;。

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 ただ、この前半の執拗なまでの痛々しい描写が後半の物語展開に生きています。

 ジェルミはグレッグの車に細工をして事故死に見せかけることを目論見ますが、その事故に巻き込まれて母サンドラまでが死んでしまいます。サンドラの幸せを思いグレッグの虐待から逃れることができずにいたジェルミは結果的に自ら母を殺害してしまったことで更に精神的に追い詰められていきます。

 一方、グレッグの長男イアンはジェルミの様子がおかしいことから、かれがグレッグを謀殺したのではないかと疑惑を抱き、ジェルミに殺人の告白を迫ります。ですが、遂にジェルミがイアンにすべてを預け、真実を告白したとき、イアンは父親の余りに恐ろしい裏面を受け入れることができず、告白の内容はすべてジェルミの妄想だとして退け、かれを拒絶してしまいます。

 ジェルミはアメリカに戻り、男娼をしながらドラッグに頼った自傷的な生活に埋没していきます・・・・・。

 この作品の白眉は、ジェルミ、そしてグレッグが、精神的な安定を得るために、過去の苦痛な体験をわざわざ自ら再現しようとする描写にあると思います。

 グレッグはアメリカに留学していたころに出会ったロシア移民の女性と結婚しますが、やがてかの女が他の男と密通しているのではないかとの思い込みに囚われ、身重のかの女を精神的に追い詰めて自殺に追い込みます。かの女の死後、グレッグは亡き妻の姉、街娼、そしてジェルミを鞭で撃ち、首を絞め、非常にサディスティックな方法でその精神を破壊しようとする行為を繰り返していきます。

 ジェルミもまた、グレッグを殺しても逃れたいと思っていたサディスティックな行為に身を任せるようになっていきます。

 かれらはなぜ過去の破局的な場面に何度も立ち返り、苦痛に身を置こうとするのでしょうか。それは繰り返しの夢と似ているかも知れません。影から追って来る魔物。光の中に逃れられると思った矢先に方をぐいとつかまれ、闇に引き戻される・・・・・・。夢は何度も同じ場面を繰り返し、生還という結果をもたらそうとすることがあります。

 このような描写は萩尾望都の過去の作品、『銀の三角』にもありました。時間を旅する能力を持った男が、何度時間をやり直しても結局は異なる道筋で同じ破局に向かう運命の袋小路に落ち込む・・・・・・。そういえば、荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第5部の最大の敵も、主人公に破れ、同じように、何度も繰り返し様々な道筋を経て死に至る、まさに無間地獄に突き落とされます。

 人間の精神が自ら無間地獄に留まるのはなぜでしょうか。同じような状況に何度も立ち返ることで、いつか異なる結末がもたらされる救いを期待しているのでしょうか。ですが、そんなに簡単なものでもないようです。一度地獄から連れ出されたとしても、地獄にかれらを縛る痛み、鎖は根深く、癒しはすぐに色褪せ、結局は何度も再び痛みの場所に立ち返ることを再び繰り返すようになります。

 修復しがたいほどに壊れてしまった時間、痛んでしまった精神。萩尾望都はかの女の再長期連載となったこの作品で、『銀の三角』で結局因果が解かれて別の場所に結び合わせ直されてしまったように、ばらばらになったその魂の欠片が新たなピースを得て、壊される前とは異なるものの、再びあるひとつのかたちに組み直されていく、喪失を伴う切なく長い長い祈りの段階を、辛抱強く登場人物たちと一緒に踏みしめていったのかも知れません。だからこそ、父の姿と向かい合い、ジェルミを愛することを選んだイアンとともに、ジェルミがひとつの開放を迎え、高く舞い上がる場面が、凡百のドラマからは得られない実感を伴っているのでしょう。