倦怠期の夫婦の・・・・・

 オヤジくさいこと書きます。

 僕と再生音楽の関係は、倦怠期の夫婦のようなものだと思う。

 お互いに好きなのだが、互いに馴れきってしまい、かつてのドキドキが簡単には感じられなくなってしまっている。それで、あれやこれや、たまに新しい趣向を加えて、情熱を再確認したくなるわけですな・・・・・・(お下品ですいません(^^;)。

 こう書くと簡単そうだが、趣向を変えるにしても、あんまりひとりよがりだったり、行き過ぎたり、趣旨が新しい趣向のほうに完全に移っちゃうと、元の互いの良さを見失ってしまうことにもなりかねないので、結構その匙加減は難しい。あんまり新しい刺激に舞い上がってしまうと、いつの間にかグロテスクな図になりかねない。あくまでも根元には初期衝動としての愛が必要だ。手段を偏愛してしまってはいけない。

 音楽も、再生環境に手を加える度、どんどん色んな音が聴こえるようになり、演奏者の持つ凄いリズム感が伝わるようになり、ステージに近づいていく感動もいいが、そういう新たな魅力を知った後で、ラジオとかポータブルCDPで同じ曲で聴くと、かつて初めて出会った高校生ぐらいのときに聴いていたのと同じような音のはずなのに、何か新鮮に感じられもする。ああ、フツーのやり方でもやっぱいいな、かわいいな、と再確認できるのである(ナンノコッチャw)。いつでも出逢った頃の関係、感覚に戻れるのが、対象が人であれ、芸術であれ、一番で、逆に、色々試した末でも、フツーが物足りないようだと、ちょっと間違った方向に進んでいる危険性が高いんじゃないだろうか。

 互いを愛する、器や手段や道具ではなく、あくまでもその中身を愛す。これがすべての関係の基本だ、と僕は思う。