祈るしかできない ―――光あるうちに行け

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「希望の歌を歌いましょう」

 シンガーは、そういってこの歌を歌い始めた。



 きらめく 夜明けをみた
 孤独な 夜の 果ての
 輝きか 凍る 指先が
 辿りつく 温もり
        
     「光あるうちに行け」(1994)



 1995年1月14日、武道館。阪神淡路大震災の3日前、地下鉄サリン事件の約3ヶ月前。

 このライヴがヴィデオ作品として発売されたのは4月になってからのことだから、このMCとこの曲を映像として残すことを選択した意図は明白だ。だが、この言葉が生まれ、歌われた時点では2つの事件は未だ起きていない。まさに甲斐よしひろという歌い手の時代を切り取る感性、預言者的性格を示す符合。

 歌は、来るべき長い困難なときを確かに予示し、そこに希望の光を差し伸べようとしていた。

 それから12年が過ぎた。

 『10Stories』。このアルバムには「光あるうちに行け」にあった薄暮を照らす確かな光は認められない。ただ、祈りがある。

 「ハナミズキ」(2004)。



 薄紅色の 可愛い君のね
 果てない夢が ちゃんと
 終わります ように
 君と 好きなひとが
 百年 続きますように



 もはや滴り流れ続け、視界を曇らせ染める血が已むことを想像すらできない現在(いま)に、強く、自らの足で踏みしめ向かうべき希望の光は届かない。我々はこの夢が果てることを願うことにすら現実感を抱き得ない。ひとつの世代にとって、百年とは永遠にも等しい。来るべきものたちへの遠い祈り。熱のない世界で、現実に接点を持ち続ける材料となり得るのはそれだけだ。

 12年前、われわれはこの薄暗がりが冬の夜明け前の永遠にも思える一瞬だと信じることができた。いま、その不確かな道が、ただひたすらだらだらと下っていく終わりのない坂道なのか、われわれは信じるべきものを持つことができない。

 だから、『10Stoeries』の最後に、10年の時を経て再び歌われる、「Swallowtail Butterfly~あいのうた」(1996)の、幽かで弱く果敢ない希望を前にして、私たちは逆にその強さに、甲斐よしひろという人間の、ひとを信じ、愛を持ち続ける意思の強さに、胸の硬直を打ち解かざるを得ないのだ。



 あなたは 雲の影に 明日の夢を 追いかけていた
 私は うわの空で 別れを想った

 汚れた世界に 悲しさは 響いてない
 どこかに 通り過ぎてく ただそれを待つだけ

 からだは からだで 素直になる
 涙が止まらない だけど

 ここから 何処へいっても 世界は 夜を乗り越えていく
 そしてあいのうたが 心に響きはじめる

 ママのくつで 速く走れなかった
 泣かない 裸足に なった 日も



 目覚めの前の、永遠に似たまどろみの中で、私たちは皆自由に向かって飛翔する夢を見る。

 再び、何度でも生まれ来る夢、胎児のように身体を丸くして、発芽する朝を待つ。



 拳 上げろ 輝く日差しはないが
 挑め 逃げるな 愛の一歩を踏み出そう

 俺の わきに 身を横たえてくれ
 拒ま ないで その一歩を踏み出せ

 太陽は 死んじゃいない
 朝は 死んじゃいない
 誓いも くちづけも
 愛も 死んじゃいない

            「愛と呼ばれるもの」(1994)